今日の一冊

「ラ・タ・タ・タム -ちいさな機関車のふしぎな物語-」
 ペーター・ニクル文 ビネッテ・シュレーダー絵 岩波書店

大人の頭の中にある不思議な空想が子供向けの絵として見える化されている。
かつ、本を読む親と読まれる子供の間の会話のためのの空白が残されている。
説明するところと、説明しないところ。その境界を知り尽くしている。
絵描きはいつも絵本に教えられて脳震盪をおこす。

結局なんだったの?は全て読み手に与えられたなぞかけなのです。
正解はない。読む人ごとにそれぞれの答えを持つように作られている。
みごとな仕事です。

絵はポール・デルヴォーとかシュルレアリスムの影響を感じました。□

 

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今日の一冊

「誰も知らない名画の見方」 高階 秀爾著 小学館


どの記事もすごい。
とくにモナ・リザに関する記述が秀逸。

レオナルド・ダ・ヴィンチが気付いた美の本質。

「美は変化の途中の一瞬、変化のはざまにある」

それを具現化したギミックの宝庫=モナ・リザ
室内と屋外のはざま。
自然と人工のはざま。
昼と夜のはざま。
夏と秋のはざま。
無表情と微笑のはざま。
それらがとことんつめこまれてるというのである。□

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ボス、事件です?!

外出先から自宅に戻ると

トイレの扉に鍵がかかっていた。

・・・・・・・!?

中から鍵がかかっているのです。

一人暮らしですよ!?一体誰が入っているの?!

どうにもこうにも開かない。

 その晩はコンビニに走るなどして急を凌いだ。

明日朝に即、不動産会社に連絡して開けてもらおう

と考えて布団にもぐりこんのだが、その刹那、

もしかしたら本当に誰かが入っているのでは...!?

という気持ちの悪い考えが脳裏をよぎってしまった。

眠っている間にトイレに隠れた誰かが忍び出し、

ナイフでめった切りにされて逃走されるのでは...。

結局、洗濯用のつっかえ棒をトイレの扉に仕掛け、

絶対中から飛び出せないようにして、朝を待った。

翌朝、不動産会社に電話したのだが、

現状を伝えた刹那、即回答。

「扉の下の口に、マイナスドライバーを

 指して回転させてください」

あー......。一発で開きました。

そして中には犯人など全く居ませんでした.........。

こんな人騒がせな事例は世の中に1000000件あって、

報道されるような事件はそのうち1件程度なのです。

だっさ。でも事件ではなくて本当に良かった。

みなさま、トイレのドアが閉まってしまったときは、

まずはマイナスドライバーのご用意を。□

NO取説時代

NintendoSWITCHのゼルダを購入した。

取説なし。

NintendoSWITCHのマリオカートを購入した。

取説なし。

PS4ダークソウル3を購入した。

取説なし。

..................えっと、、、、取説、ないの?!

僕はゲームを始める前に取説を精読する人間である。

取説での情報なしにゲームを始めることに

とても抵抗感があります。

「ネットで調べろ」

「電子化した取説をみてください」

「ダウンロードしてください」

このご時世のスタイルはそんなふうに変わってきている。

まずは、触って覚えろ。というのであろう。

でも、ゼルダにしてもマリオカートにしても、

基本操作も画面の情報もまったくわからない。

それすら触って覚えろというやり方はどうなのでしょう。

結局画面の基本情報などは全てファミ通の記事で知った。

メディアに説明を委ねるメーカーの姿勢っておかしくない?

しかもかつてのファミコンのゲームなんかより一層複雑化した

操作、システムをもつゲームに取説を排除するなんて、

作り手として、納得できているのか。

言葉なしで遊び方が伝わっていると本当に信じていられるの?

一層複雑化するゲームに対し、取説なしで理解させるという

矛盾を孕むゲーム社会。

もう一回お客様満足の原点に戻るべきでは?とおもうのです。□

世界の社食から

GW明けから社員食堂が大きな変貌をとげ、
連日の大混雑の大混乱状態になっている。
30~40メートルくらいの行列ができ、
しかも列は遅々として進まない.......。
一体どこにこれほどの人間が隠れていたのか。
列が進まないのは、スタッフの不慣れによる
手際の悪さもあるが、給食会社の拘りもある。
かつての給食会社も嫌いではなかった。
速いし、メニューも定期的に更新され、売切もなく、
飽きないような工夫もされていた。
だが、社員たちは「もっと美味いものを!」と叫び
このたびのペレストロイカを行った。
その結果、手間がかかるがより美味しい!という
給食会社が採用された(と感じている)。
確かに美味い。
だが料理に拘りがあり、給仕が追い付かない。
あらかじめ準備していたものが完売となった後、
料理を皿に盛りつけ、提供し、また次を盛り付ける。
行列の流れが止まる。
結局昼休みの多くの時間を待ち行列で過ごすことになる。

料理も、ものづくりである。
 芸術性をとるか商業性をとるか。
ものづくリストの宿命は、この二つのはざまを常に彷徨う。
ものづくリストは芸術的な作品をじっくり時間をかけて
作りたい。だがそれではお客さんが痺れを切らしてしまう。
芸術的な拘りにはある程度の水準で見切りをつけて、
商業性に譲歩せざるをえない。
今、わが社員食堂のスタッフたちは芸術と商業のはざまに
ゆれているのである(大袈裟かもしれないけれど)。
アーチストはつらいよ......。□