災い転じて。

金曜日の晩、自宅に帰った後、職場に携帯電話を忘れて来てしまったことに気が付いた。

土日に予定が無いのなら月曜日に出勤したときにでも回収すればよいのだが、この週末はアトリエの用事があって、何人かの人に連絡を取らなくてはならなかった。携帯電話がなくてはどうしようもない。
やむなく土曜日の朝、携帯電話を取りに職場に向かうことになった。
個展に向けた制作が遅れていて、少しの時間でも惜しい時期である。
携帯電話の回収だけで往復2時間もの時間をかけてしまうことに、正直ちょっぴり落ち込んだりもした。
だけど、冷静に考えてみれば、移動中の電車の中で本も読めるし、作品の構成を考えることもできる。歩いている時間を除けば、家の中でやる作業の一部は移動中に概ねできてしまう。
こんなことでもなければどうせ家に閉じこもって制作をして、太陽を見る事も無く1日が終わるだけである。たまには朝の時間に仕事目的以外で外出してみるのもいい。

携帯電話を回収した後、ふと毎朝通勤時に見ている木を簡単にスケッチした。
忙しい時間でありながらも、ふだんできない木との対話ができた。
風はまだ少し冷たい。スケッチブックに向かっている間、人が僕の視界の右から左、左から右へと流れていく。休日であっても彼らは忙しい。
だけど、僕はその流れに乗らずに足を止めている。僕の休日はその瞬間、止まっていた。自分の中だけ、とくべつな時間が流れているのを感じた。忙しくともあえて足を止めてみることで得られるこの豊かな時間。

携帯忘れから始まった休日朝の外出だったが、やはり外に出れば何かが見つかる。

災いは転じて福となる。忙しいときほど冷静に足を止めてみたいものだ。□

今日の日本酒

純米吟醸 北雪 越淡麗十割
新潟県佐渡市/株式会社北雪酒造/8点)

http://sake-hokusetsu.com/index.html

「超辛」などとうたう酒を呑んで美味い。と感じたので、
僕は辛い酒が好きなんだと、ずっと思っていた。
だけど、実はあまい酒の方が好きなのかもしれない。
最近、そんなことに気付き始めた。

正月におとずれた越後湯沢のぽんしゅ館。
かたっぱしから試飲して発見した「北雪」。
あまい酒だと思う。
だけど僕にとって好きな酒だった。
新潟の前衛に位置する酒の1つであると確信する。

後で知ったことだけど、なんと佐渡島発の酒なんですね。

 

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佐渡島といえば「金」のイメージが強いのですが、実は「酒」もすごいのです。
佐渡島は訪れたいとずっと思っている場所です。
いつか旅をしながら酒造もおとずれてみたいなぁ□

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ほんもののデザイン。

デザインあ」100回記念スペシャル。

わずか15分の映像に宇宙のような広さを感じる。ほんもののデザイン。

ぼくらは「デザイン」に弱い。
「デザイン」という言葉に合わせて登場する「前衛的な視覚的衝撃」に、いつも圧倒されてしまう。やがて言葉と視覚がセットになって記憶されてしまい、「デザイン」と聞くとなにか身構えてしまって、同時にわくわくする気持ちにさせられてしまっている。いつの間にか僕らは「デザイン」に飼いならされている。

見たこともない建築や写真や絵画や造形。
実はそれらはあまり特別なものではなくて、ふだん目にしているものだったりもする。
だのに、いざつきつけられてみると「はっ」と驚くほど、姿を変えていたりする。僕らはふだん目にしている身の回りの多くが、いかに美しく素晴らしいものであるかを忘れている。「デザイン」はその美しさを思い出させてくれたり、改めて気付かせてくれたりする「装置」なのだ。

だけど、世界の人間をこのように驚かせる「デザイン」を生み出す前衛者の成果に、寄りかかるものがいかに多いことか。
彼らは自らを「デザイナー」と称することで我々が怖れ慄いてひれ伏すことを知っていて、あざとく狡猾にそのステイタスを利用する。だがその実態はハリボテみたいな輩だったりする。
どの世界でも、パイオニアが切り開いたものに寄りかかる傾向はあるけど「デザイン」の世界についてはとくに顕著だと感じています。芸術でありながら商業性をゆるす絶妙な場所に位置付けられてるカテゴリーだからだと思う。居心地がいいんだ、きっと。

ぼくらはだまされてはいけない。
ぼくらもよいものを生み出し、ほんものを見分ける目を持つこと。
それが寄りかかるものにあらがうささやかな抵抗なのだと思う。□

樹の会展18開幕

樹の会展も18回目。今年も無事開幕にこぎつけました。

総勢50名のアトリエ研究生の作品が一堂に会する年一回の展覧会です。

開幕の前日、スタッフとして陳列に立ち会いました。
同じアトリエに所属していても曜日や時間帯が違うから、本人にはあったことが無く、作品しか見たことのない方もいます。逆に、本人のことは知っていても最近の作品を観れていなくて、最近の絵はかなり良いらしいとか。そんな噂だけをぼんやりと耳にしていたりする方もいます。

実際にその噂の作品が目の前に「ドン!」と現れて、のけぞることも多々。

今年も1枚、びっくりするのがあった。

絵のことを考えたり、描く時間はたぶん僕の方が多いと思うのです。
だけどそんなものを超越するほど「あの絵」が良かった。圧倒的に。
僕は、自分の作品の至らなさを、単なる作品の量やアトリエのボランティアで免除してもらおうとしているだけなのではないか.....。サリエリ増田。作品は非情です。

増田がのけぞった作品はどれなのか?
そんなクエストも兼ねて。お近くにお立ち寄りの際は是非ご高覧くださいませ....。□

 

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いつかどこかで。

「今しかできない苦労がある。それを今しろ」

.....といったことを脚本家の倉本聡氏が言っていた。

仕事から自宅に戻り、テレビをつけて酒を飲む日日。
それは楽しいことだけど、今しかできないこと、他にないのかな?
そう自分に問いかけたら、描くこと。それしかない、と思い至る。

スキルって粘土みたいなものだと思っている。
柔らかいときなら、好きなだけ形を変えることができる。選ぶことが出来る。
だけど一度固まってしまったら、もう二度と形を動かすことができなくなる。
スキルってまさにそういうものだと思う。
そのときしか形を決められるチャンスは無い。粘土が固まったとき、それが自分のその後の人生の「スタイル」になる、なってしまう。固まった後は決して絶対それは変更することはできない。
だからこそ、粘土が固まる前にもがき苦しみ、その後の一生を支える自分にとって最もふさわしい「スタイル」を取捨選択する。倉本聡氏が言っていた「今しかできない」というのはそういう時間なんです。そういうことだとぼくは思っています。

僕の粘土は、少し硬くなってきてしまったように思うけれど、まだ動かせそうです。
だから、お酒は少し我慢して、未だ「スタイル」を探したり、調整をしている。そんな毎日をすごしています。 

先日お世話になった画廊のレセプションに参加した。
画廊は5月に閉館が決まった。とても残念だけど時間は流れていてオーナーもぼくも歳をとっていく。これも宿命だと思っている。
ふと、脳裏に思い出されたのは画廊で働いていた若い男の子のことです。20代後半くらいだったと思います。個展をやったときに僕の絵のコメントを聞かせてくれたりした。
僕は彼のことを心配していた。彼にとって、画廊の仕事は今しかできないことではない、と思っていたから。
簡単なようでいて、画廊の仕事もやっかいです。
画廊は、作家と作家をつなぐ深く広いネットワークをもっていなくてはいけないし、美術に関する深い理解や興味も持ち続けなくてはいけない。またそういう歴史やトレンドを常に取り入れ、楽しんで、人を集める人間性も無くてはいけない。
いろいろな世界で経験を積んだ最後の終着駅のようなところが画廊だと思うのです。
正直、彼にはまだまだ外の世界で勉強することがあるように感じていました。
それでいいの?と言おうと思っていたけれど、最後のレセプションの席には彼はいなかった。きっと、画廊の閉館に伴い、画廊を去ったのだと思う。彼にとっての今しかできないこと。それを見つける旅に出たのだと思う。

僕は多分ずっとここにいます。業務と仕事の間にもがきながら、きっとこれからもこのフィールドで発表を続けていくと思います。
いつかどこかで、世界の多くをみて成長した彼と、このフィールドで再会できることを願っています。もちろん、僕の方も、そのときにふさわしい成長を遂げた自分でありたいとも願っています。今しかできないこと、に挑戦し続けていきたいと思っています。□

怒りのフィールド

ひさしぶりに怒りました。

業務で必要な機材を2/1に発注した。最初に納期5日と聞いていたんだけど1週間たっても、2週間たっても、とんと納品されない。
どうなってるんだ。と業者へ電話してみたら「すみません!確認します」と返事があった。
それで、また1週間ほど納品を待っていたのだが、いっこうに納品されない。状況の連絡もない。
再び業者へ電話。「すぐ確認します!」また同じような返事。
でも、この返事にも待てど待てど連絡はない。もちろん、機材も納品されない。
さすがにいらいらしてきた。
再度電話でプッシュすると「今週金曜日には納品できます。すみません」。それで4週間ほどが経っていた。
そして金曜日になってもやはり機材は納品されなかったのだった。

ちゅどーん!」(怒りが爆発した音)

仏の顔も三度まで。です。
別のルートで手配すると業者に告げ、発注を取り下げた。
もう二度とこの業者には発注しない、と決めた。

Amazonやら発注して当日にも納品されるのが当たり前になる昨今で、納品に1ヵ月なんて論外でしょう。しかも途中の対応も悪い。ずっと連絡もないのだから。
なんとか遅延は吸収できそうだが、場合によっては業務的に致命的な事故になりかねない事件だったと思います。

しばらくむかむかしていたのだけど、でも職場をぱっと離れたら、そのむかむかもすっと消えてしまった。

この怒りは、あくまでも「業務のフィールド」での怒りだったのだ。

もし制作のため、キャンバスを画材店に手配をしていて、画材店が1ヵ月たっても納品されなかったとしたら。もちろん大爆発を起こすのだろうけど、それは「絵画制作の仕事のフィールド」の怒りなのです。


かつて「業務も自分のこととして思って、取り組め」と先輩にさんざん言われてきたけれど、やっぱり業務と仕事は違うと思います。
それぞれにそれぞれのフィールドがあって、その箱庭の中で限定したドラマが展開されてる。
業務で発生した対立ってのはやっぱりお互いにとって、業務という世界の中でだけ有効な諍いなのだろうなぁ。
今回ポカをした業者も、せめて居酒屋で「口のうるせえ客だったなぁくそったれ」と僕の悪口を肴に酒を流し込んで、自宅に帰ればけろっとそんなことすら忘れてしまったりするのだろうなぁ。

大切なもの、大切な度合もフィールドごとに同じにはできないのです。そういうことを感じました。

業務と仕事。いろいろなフィールドがあるけど、やっぱり怒るのは疲れるね。
怒ることなく平和に生きていたいとも感じました。□