スプラトゥーン

Nintendo SWITCHスプラトゥーン2をやっている。

毎晩、ナワバリバトルを3戦。調子がいいときは5戦くらいやります。
おもしろくてたまらない。でも、なかなかうまくならない。
どこかからか狙撃されてすぐに死んでしまうし、気が付けば大きな差を付けられて敗北を繰り返している。
さすがにもうちょっとうまくなりたいな、と思って、いろいろな情報をネットで調べ始めています。
ほどよくゆるく長く遊びたいなと思ってます。

ゲームそのものの面白さもあるんだけど、そもそもクリエイターたちはどうやってこんなすごい世界観を作り出したのか。ということにも興味があります。
もともとは全く興味が無かったのです。でも、発売前のものものしいざわめきというか、ファンが放つ熱のようなものがどこかからかずっと届いてきていて、その話題に乗って、購入してみたのです。

ペンキを塗って縄張り争いする。というシンプルなゲームでありながら、日本のゲームとは思えないデフォルメの利いた可愛いキャラクター、独自の配色センス。全編を彩る楽しい音楽。ジャイロセンサーを使った新しい操作感覚。ネットを前提とした割り切られたゲームシステム。
どこをとってみても、新しい。
誰も想像をしていなかったところから、突然現れたようなゲームなのです。
例えるなら、iPhoneを初めて手に入れたときのような感覚に似ているかもしれない。
今までの、ものづくりの延長ではまったく想像できなかったものが、ひょいと現れて、使ってみたら、やってみたら、もうそれなしでは生きていけないような。そんな「新しい価値」になっています。

なにかを創造するとき、ブレインストーミングをするけれど、だいたいは誰もが考えつくようなありきたりのアイデアや、荒唐無稽すぎて実現不可能みたいなアイデアのどっちかのネタが溢れてしまう。
でも、iPhoneスプラトゥーンは、そんな「ありきたり」と「荒唐無稽」の間にある、やすやすとは生み出せない、現実的で全く新しいレアなアイデアを、100も1000もかき集めて結晶にしたかのような、途方もないエネルギーと想いとセンスを感じるのです。
イデアに枯渇した僕らは、ただただそのクリエイティビティの美しさにため息をつくだけで、その神の領域には入れてもらえずにいる。そんな嫉妬のような気持もあるのです。

僕のものづくりにおいても、100まではいかなくても、1でも2でもそんなハイセンスのアイデアを生み出せたら。と願い、今日も、ナワバリバトルを戦います!(働きなさい!)

 

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8/18~19はフェスです。僕はきのこ派!□

 

怪談

ほぼ日イトイ新聞で恒例の「ほぼ日の怪談」がスタートしました。

毎日3話ずつ怪談がアップされています。
短い話なのですぐに読めてしまう。
どこぞやの怪談グランプリみたいなハードな怪談ではなくて、身近で一般的な小さな怪談なのです。が。
これが結構、残るんだよねー。

夜、ひとりでPCに向かってブログを書いているとき、後ろに誰かが立っているような気配を感じてしまって、はっと振り返ってみたり。
お風呂で一人、頭を洗っているときに、扉の向こうに誰かが立っていたらどうしようとか。
変にびびってしまっていたりします。
怪談というのは、聞いた直後よりも、後に引っ張られたときが、むしろこわいんだよなぁ...。

「ほぼ日の怪談」がこのたび一冊の本になって、思わず買ってしまいました。

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一人でいるときは読みません。こわいから。
意外と臆病なんだね、僕も。
でも怖くてもいつも必ず気になってしまうのです。怪談ちゅうのは。
怖いからこそ気になるのでしょうね。
今度機会があったら増田の怪談、披露します(笑われるのがオチですが)。□

ギリギリスタイル

FM COCOLOの「COME ON! ROCKIN' ROAD」で、近藤真彦ことマッチが、
「ぎりぎりにならないとできない男=マッチ」と自らを語っていた。

コンサートのステージ前にスタイリストが用意した衣装を試着せず、ぎりぎりになって着用してみたら体にフィットしていなくて、直前にサイズ変更をお願いしたり。
出張先を発つ直前の最後の最後の5分でソーキそばを食べ、飛行機の離陸をとめたり。と、いろいろやらかしているようです。
それでもまぁ、コンサートは無事に乗り切って、飛行機にも何とか搭乗できているとのことで、いっそうぎりぎりのスタイルから抜け出せずにいるらしいのです。


.............これって。.......僕じゃないか。


僕もぎりぎりスタイルから抜け出せません。
追い詰められるまでは、どうしてものほほんと生きてしまう。
制作だって、毎日こつこつとできているわけではなくて、結局、出品直前や、個展開催直前になって、まるで嘘のように火がついて、転げまわりながら乗り越えたりしているのです。
そんなときは、もう絶対にこりごりだ。次回こそは必ず、もっと計画的に、こつこつと余裕をもってやる!と泣きべそをかきながら誓うのだけれど、終わってみたらもうすっかり忘れてしまっている。
むしろ「なんだ、やればできるじゃないか」と自惚れて、それがどんどんとエスカレートしている。

周りの人たちに壮絶に見えるのは、直前のもがき方が尋常でないだけで、たぶん、僕のやっていることなんて、ちゃんと計画的に実行できていたら、全然たいしたことではないはずです。

ではどうしてこのぎりぎりを直せないのか。
この春の個展のころのブログでも、たしか同じようなことを書いていたかと思います。
落ち着いたら今度こそは計画的に制作をしようとか。
でもやっぱり6月の出品を終えた後には、ふぬけてしまう。
結局、この2か月間は本当に腑抜けていました。
暑さに負けたせいもあるかもしれないけれど、まあろくなアウトプットを出せずにいました。やっぱり僕は締切が無いと仕事ができない人間なのです。

ぎりぎりはまあ仕方がないとして、良くないのは、2か月間、中途半端に苦しんでいたことです。
もっとメリハリをつけてもよかったのではないかと思います。
やるときはやる。やらないときは徹底的にやらない。くらいがいい。
中途半端に頭に残っているくせに、全然仕事が進んでいないから、それがまた自分を苦しめて、ため息ばかりついているわけです。このエネルギーは相当無駄だったと思います。

マッチですら、ぎりぎりなんですよ。
ぎりぎりスタイルをやめることは断念して、余計な苦しみ方をしない、追い詰められるまでは一切考えない。というスタイルに割り切った方がいいのかもしれない....なんて最近は考えています。(それでいいのか!?)□

クラフトビール!

クラフトビールが気になる。


ビールが好きです。
大手のビールも好きだけど、最近は「地域」とか「独自」によりこだわったクラフトビールに興味があふれて来ています。
「クラフト」という言葉も、なにかあたたかいものづくりを思い出させるような気持のよい響きをもっていますよね。

地ビールクラフトビールは何が違うのかちょっと調べてみたら「小規模であること」「独立していること」とあります。まぁ、ここまでは地ビールもしかりですが、最後に「伝統的な製法を守っていること」とありました。
「伝統的」というところが地ビールクラフトビールの境界なのかもしれません。
世の中に幾多おられる地ビール職人たちに、さらに差をつけた職人(クラフトマン)が伝統にこだわって鋳造したビールがクラフトビールと言えそうです。

ふりかえれば、これまで酒飲み仲間たちに連れて行ってもらったお店に、クラフトビールの店がとても多かったことを思いだします。つまり、知らない間にそれだけクラフトビールのお店は増えているのです。
魅力はビールだけではなく、かっこいい店のたたずまいにもあるかと思います。

春に京都のギャラリー洛さんで個展をして、画廊のある丸太町から、四条烏丸までじぐざぐと南下して帰ったとき、いくつかのおしゃれなクラフトビールのお店を見つけました。
入口に入店をまつお客さんが集まっていて、何の店だろう?と意識したことで記憶に残っていたのですが、それが代官山、横浜についで京都に3店舗目となったクラフトビールのお店、スプリングバレーブルワリー京都でした。

 

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京都だからね。町家をリノベーションしてクラフトビールを楽しめる店になっているのです。かっこいいでしょう?

40度越えするような暑い日がつづくので、京都のおしゃれなブルワリーに足を運んでクラフトビールをもっと楽しみたいものです。

ひさしぶりに「もやしもん」も紐解いてみたいなぁ。□

音。

ずっと気になっているアトリエ近所の居酒屋に、ようやく行くことができました。

新しいお店です。10人入ったら満席になるくらいの小さなお店です。

店に入ったとき、何か特別な「違和感」を感じました。そのときは何が「違和感」の原因なのかはわからない。でも確かに何かがおかしい、言葉にならない違和感がある。

料理は美味しい。

お酒も美味しい。

それでもその「違和感」はずっと残っていました。

やがて、その違和感の原因にたどり着きました。


「音が無い」のです。


店内に全く音が無いのです。
これまで訪れた多くの居酒屋では、テレビを流しっぱなしにしていたり、JAZZの曲を流していたりして、なんらかの音が店内にあったのです。
ところが、今回訪れたこの店には何一つ、音が無いのです。


居酒屋にとって「音」というものはとても、とても大切な要素です。

音は、時にお客さんの小さな秘めたる会話を、もみ消してくれるものであったり、店員と客の間の壁の役割を担ったりするものだったりするのです。
だけど、音が無いと、僕らは周りに気を遣いながら小さな声で話さなくてはならない。
あるいは、大将がカウンターで沈黙してこちらを観察していたら、僕らが何かの話題を出してつなげていかなくてはならなくなります。
それは正直、なかなかしんどい。しんどさを忘れたいために居酒屋にきている客にとっては、いったい何のための居酒屋か、ということになってしまうのです。

お互いのためにも「音」はとても大切なのです。

そういう話をまだ4月から開店したばかり。という大将にも話しました。僕らのいいたいことは伝わったのかなぁ..........?

美味しいお店でした。また立ち寄りたいとは思っています。

次回、この店に音は根付くのか?!乞うご期待。□

20回目の挫折

僕の人生は、サブカルチャーです。

いままで裏では微妙に認めながら、表では決して認めていなかったこの現実を、今やっと認めざるをえなくなりました。認めます。僕の人生は、サブカルチャーです。

ずっとメインカルチャーで生きていきたいと思っていました。

でも、たぶんもうこれからはどれだけ努力してもメインカルチャーには入れてもらえない、という最後のジャッジメントが今日、なされたと感じます。

これも人生の一つの「挫折」なのでしょうか。

ちょっと前までは全部、自分の頭で決断ができていたかと思うのです。

でももう、僕一人では決断することができなくなっています。
体力や社会的な立場、環境など。いろいろな要因がからんで、しばられ、一人のたちふるまいが決定されている。それは僕だけのものではなくなっている。
頭ではそんなつもりはなくても、いろいろな側面から、自然にそういう決断に向かうように仕向けられている。

きっとイチロー選手があのような形態をとって、選手からスタッフに変わったのも、これとほとんど同じようなことだったのかもしれない。たぶんそうなのだろう。

人生、短いね。
チャンスはいつもころがっている。でも、この短い人生の時間の間にどれだけそのチャンスをつかむことができるか。前に出ることが出来るか。そうやって多くの先輩たちもアイデンティティ探しに奔走してきたのだと思います。

門が開いている時間は本当に短いから、若い人には無茶をしてほしいです。

無茶をせずにがんばってください、なんてもういいません。
無茶をしても結果はでないかもしれない。それくらい時間はありません。
無茶をしてでも、体を壊してでも、なんらかの成果にしがみついて欲しいです。

.............えーと。
別に僕が人生をリタイアする話ではないですよ。
ただステージが変わってきた。ということです。
僕は僕なりに、新しい戦い方を見つけて、みんなからは何一つ変わっていないような生き方をしていくのかと思います。ともかくも、しがみついていきましょう。□

一呼吸おくこと。

食事をするのがとても遅い僕です。
最近になって更に遅くなりました。
お腹が空いていても、慌ててがっついたりすると、すぐにお腹をこわしてしまう。
というか、お腹が空いている状態だからこそ、いきなり食べて胃を驚かせてはいけないのかと感じています。なので、お腹が空いているときは、更にゆっくり食べるようにしています。
少し食べたらスマホを眺めたりして休憩します。落ち着いたらまた食べ始めます。
誰かと食事をしているときは、会話があるのでスマホは不要です。

 

スケッチをするときは、目の前の光景に感動しているから、たいてい興奮状態にあります。
すぐに鉛筆を取り出して、下絵を描き始めますが、できてすぐにそのままの勢いで着彩すると、だいたい大失敗します。
下絵ができたときに、ちょっと一呼吸置くのです。すると、興奮が少し冷めて、下絵の遠近や形がくずれているのを見つけることが出来ます。着彩をするのは、それらを直してからにすると、うまくいったりします。

 

仕事で、思わず口応えしたくなるような、いらっとするメールをもらうことがあります。
そのときは感情的になっていて、即座に返信メールを書いたりしますが、送信ボタンは押さずに、ぐっとこらえて送信箱に入れることにしています。
翌日、頭が冷えたころあいに、そのメールを改めて読んでみると、だいたい下品なことが書いてあって、送らなくて良かった!と胸をなでおろすのです。その後、冷静に文章を推敲してから送信することにしています。これでだいたいうまくいきます。


感情的なことや生理的なことは一瞬、ものすごい力で僕らを動かそうとするけれど、そんなときは、ぐっとこらえ、一呼吸を置いてから、次のアクションをすることでうまくいったりします。

早さが求められる時代だけど、早いことが全てではないのだね。
ときには、一呼吸おいて、冷静に動きたいものです。
昨日のブログは感情で書いてしまいました.....。それを読み返して今日のブログを書いています。□