今日の日本酒

 

東光 純米吟醸原酒

山形県米沢市/株式会社小嶋総本店/92点)

 

 

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東光の「光」は、山川光男くんの「光(みつ)」です。

 

光です、密です、小池百合子です。

 

くちあたりは「ぽわん」としたやわらかさ。

のどをとおるあたりで「ちくり」と刺します。

 

ぽわん。と、ちくり。のお酒です。

 

小嶋屋の銘酒と発信元は同じだけど別ブランドなのですね。□

文化断絶

 

スペインでまたやらかしたらしい。

 

これです。

 

 

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聖母像(左)の修復をした結果がこれらしいのです。

一度修復して右上、再度修復して右下になったということ。

なんでこんなことになるのか。

 

文化の断絶が起こっていると思うんです。

 

エジプトのピラミッドや、カンボジアアンコールワットといった偉大なる過去の遺産があるけど、現代の人々はそれらの遺産にあやかって観光収益をえることがせいぜいであって、誰も、作り方を知らない。残されていない。

創造者が次の世代に、技術をリレーして今に残っているのなら、きちんと再構築したり修復したりできるはずなのです。

まあ日本人も、もう一回京都の寺院を作れと言われてもできないだろうし、イタリア人もフィレンツェの街並みをもうひとつ作ってと言われてもできない。

過去の偉大な人たちがつむぎあげた奇跡なのですね。だからこそ世界的な遺産になる。

 

天空の城ラピュタで飛行石というものがでてくるけど、現代に残された人はだれも飛行石を結晶にすることができないんですよね。

過去と現在で技術が断絶している。

だからこそ、過去にロマンを感じるのでしょう。

今、スペインでは誰も聖母を復元できる人がいないということですね。

ミケランジェロのような傑作を残すことはできなくとも、過去の遺産を次につなぐ。

そのための努力、役割はになっていかないといけないとも思いました。□

あのころ ~パンツ作戦のおもひで~

 

朝、小学生の通学の声で目をさます。

 

暑くなってきた。

そろそろプール開きの時期だろうか。

コロナウィルスの騒ぎがあるから今年はプールは無しだろうか。

まどろみのなか、小学生の声が引き金となって、プールで遊んでいた、あのころのことが思い出されてきた。

 

夏休みの間、当然小学校は休みだったのだが、毎日1時間程度のプール教室には通わなくてはならなかった。

水泳では定期的に検定試験があり、級付けによって、プール教室は3クラスに分けられていた。

登竜門は3級で、飛込みをしてそのまま25メートル泳ぎ切る。というものだったが、飛込みの審査がとても厳しく、4級で足止めを食っている奴が山のようにいた(4級は、普通に15メートル泳ぎきる。だった)。

かくいう自分も4級どまりで、まんなかのクラスで水泳教室に通っていた。

普段は1年生が使う1階の2つの教室が、男子用、女子用の更衣室にあてがわれ、ここで着替えてからプールに入るのだが。

この「更衣室」が当時の男子の間では深刻な戦場となっていたのである。

 

「おれはタオル作戦で行く!」

 

海パンに着替える前に、男子は高らかに更衣室にいる仲間たちに大声で宣言をしてから海パンにはき替えるのである。

 

要は、ちんぽをいかに見られないようにして海パンにはき替えるか。という戦いである。

海パンにはきかえる手段としては、二つの「作戦」があった。

「タオル作戦」と「パンツ作戦」である。

誰が名付けたかはわからない。まったく馬鹿なネーミングである。

「タオル作戦」は初心者向けで、単に腰にタオルを巻いて見えないようにしてからパンツをぬいで、海パンにはき替える。その後、タオルを取って、はい、完成。という作戦である。

一方「パンツ作戦」はとても難易度の高い作戦であった。

まず普通のパンツの上から、海パンをはいてしまう。それから下のパンツを少しずつずらせて脱皮するかのように脱ぎ取り、海パンだけを残すのである。

自分は当然、タオル作戦で毎日をしのいでいたが、いつかパンツ作戦を成功させよう、という野心をたぎらせていた。そういう馬鹿なやつらがいっぱいいたのである。

 

ある晩、兄が自宅で「パンツ作戦を練習しよう」と真剣な顔で言いだした。

兄にとっても、パンツ作戦成功は大いなる夢だったのだろう。

どうやって練習するのかと尋ねたら、普通のパンツの上に普通のパンツをはいて、ここで脱ぐ練習をしてみたらいい。というのだった。

かくして、自宅のリビングで兄弟そろってパンツを2枚重ねではきこみ、さあ、とばかりに下のパンツを脱ぎ始めたのだった。

なんともシュールで馬鹿な光景である。

......だが、どうしてもうまくパンツが脱げない。体がつりそうになる。

もはや立ってなどいられず、ごろんごろんと居間の中を行ったり、来たり、転げまわって悪戦苦闘するも、結局パンツは脱げずに、破け散ったのだった。

 

結局、パンツ作戦は成功を観ずに今に至る。

あのころの馬鹿な青春の一コマである。

 

最後に蛇足だが、その後の学年卒業間近の検定はとても検定の審査が緩くなり(たぶん全員に成功体験をさせてやろうという先生の取り計らいだったのだろう)、自分も3級を突破し、2級まで進級して小学校を卒業した。

だが、3級の検定ではおもいっきり腹打ちで飛込んでしまい、とても合格とはいえるものではなかったと記憶している。

水泳については成功体験というより失敗体験の記憶の方が強い。□

100年ドラえもん

 

ドラえもん50周年。

 

これを記念して100年後まで読み伝えられる「100年ドラえもん」の発売が決定したようである。

 

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僕は、藤子不二雄の大ファンである。

のらくろ手塚治虫から始まり、多くの作家がバトンをつないで今や超漫画大国となった日本。

昨今の成熟した天才たちがつむぐ漫画も大好きであるが、僕にとっての原点はやっぱり藤子不二雄である。

最も多感な時期であった小学校のころに初めて買ってもらったてんとう虫コミックスの第2巻、第1話「テストに暗記パン」には、脳にこびりつくほどの衝撃を受けた。

食パンを教科書に押し付けると、そのまま写し取られ、そのパンを食べるとすべてが記憶できるというものである。「水でながしこめ!」と叫ぶドラえもん。「勉強はつらいなあ」というのび太。夢と現実の厳しさを教えてくれる衝撃的な一話である。

しばらくしてテレビアニメも始まり、劇場用大長編シリーズも始まった。テレビやスクリーンに穴が開くほど見つめた。コロコロコミックも愛読した。

 

作品だけではない。

 

時折テレビやメディアに登場する藤本弘安孫子素雄、両先生の存在や声にも憧れた。

手塚治虫先生の作品に影響を受け、富山から上京し、トキワ荘という名のモンパルナスに城を築き、漫画界の黄金期を作っていくその姿にも衝撃を受けた。結果だけでなく、執筆の過程も含めてすべてを見つめ、憧れ、尊敬した。

大学時代に漫画研究会、アニメ研究会に多くの青春を費やしたのもすべては藤子不二雄先生からうけたビッグバンにはじまっていたと思う。

 

藤子不二雄作品は、古くならない。

 

子供のときに読んだ楽しかった、美しかった記憶が、大人になって改めて読んでも全く壊れることがない。
シンプルな物語でありながら、とても深い考察や設計の上にひとつひとつの話が完成されている。今読み返してもうなってしまう完成度である。

藤子不二雄愛が熱狂するピークのころに、中央公論社から藤子不二雄大全集「藤子不二雄ランド」が刊行された。

毎週1冊、藤子不二雄先生の作品が発売されていく大全集である。

途中まで熱読していたが、毎週1冊の経済的なインパクトも大きく全巻コンプリ―トには至らなかった。このことは今も無念の気持ちとなり心に焼き付き、残っている。

だが、昨今発売が決定した藤子・F・不二雄大全集で、ようやくF先生の全作品をそろえることができた。

50周年と言われる今、改めてドラえもんを読み返しているのだけど、やっぱり面白いのです。

 

さて、ここにきて「100年ドラえもん」の発売である。

ドラえもんは、世代を超えて、姿かたちをかえて、つど新しい形態で発売され続けているのだけど、いつも買わされてしまうのだ。全集で持っているというのに。いろいろな付録や豪華な装丁に惹かれて、また揺れているのです。

まったく、小学館ってのは商売上手だぜ。

 

...それはそうと。F先生の大全集をそろえた後は、やっぱりA先生の大全集の発売を強く期待したい。晩年にF先生とA先生としてたもとをわかつかたちになったけど、そんな大人の事情は子供たちには知る由もなく、やっぱり僕にとっては藤子不二雄は二人で一人の作家なのですから。

プロゴルファー猿」「まんが道」「怪物くん」「忍者ハットリくん」「魔太郎がくる」「笑うせえるすまん」...A先生の作品の多くも、やっぱりすばらしいものがたくさんある。全部読み直したいものである。□

 

今日の料理

 

エビトマトカレー

 

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改めて写真でみたら、そこそこ美味しそうにはみえるけど、

実は、それほど美味しくできませんでした。

一番の敗因は「玉ねぎがくどい」。

丸ごと1個煮込んだけど、半分でよかった。

さらに輪切りではなくてみじん切りにした方がよかった。

火の通り方が中途半端で、玉ねぎのシャキシャキ感がスパイスを楽しむことを邪魔してくるのです。

トマトの量ももう少し加減してもよかったような....

思い出すたびに欠点が蘇ってくる。

カレー道は長く、険しく、遠い...........。□

追悼

 

わたなべゆう先生が亡くなった。

 

画家にとっての芥川賞といわれた安井賞を1995年の第38回展で受賞された。

写実画からは180度異なる、まるで土をキャンバスに塗り付けたような作品である。だけど、どことなく懐かしく、温かみがある。人の手で作られていながらも、まるで風や雨が勝手に作り出したような自然な造形。唯一無二の世界観だ。

 

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以前、銀座の個展でお会いした。

「作品から土のにおいを感じますね。ふだん農業でもやっているのでしょうか」

「農業はしていない。だけどキャンバスの上で農業をやっているんだ」

実際に土を耕すことをしなくても農業はできるんだな、と知った。かっこよかった。

ことばのひとつひとつから哲学的な深さが感じられ、短かったがとても強く記憶に焼き付く貴重な時間となった。

個展の図録を求めると、気軽にサインもしてくれた。図録は今も大切にとってある。

 

その後、名古屋での個展の案内をいただき、ふたたび個展に足を運んだ。

会場には先生はいなかったが、小品が並ぶその空間はまさに「土のない畑」に入り込んだ感じで、刹那「欲しい!」という気持ちが沸き上がってきた。

画家の作品を買ったことはそれまでなかった。
美術品は鑑賞させてもらって、あわよくば作家の先生とお話しさせてもらって帰ってくるというのが定番だった。買うと考えたこともなかった。
だがそのとき、はじめて、ずっとそばに置いて眺めておきたいと感じ、衝動的に買い求めたのだった。作品を買うとはこういう気持ちなのかを知った。

作品は今もずっと大切にもっている。

いつ眺めてもあきることがない。買ってよかったと今も思っている。

どうしたらこれほど長く楽しめる作品が描けるものかと、眺めている。

あのときの凛とした眼光が放つ先生のオーラが、ずっと強い印象となって頭の中に残っていて、亡くなられたということが信じられない。

 先生が僕に渡してくれたものを心にとどめ、また次の人たちに、何かしらの形でバトンを渡せたらいいと思っている。□

感染

 

ウィルスがうつる。というけど、

人が持つ熱意のようなものも、うつる。


スケッチを始めた当時は、真夏だろうが真冬だろうが全く関係なく、週末が来れば「スケッチ行きましょう!」と周りを巻き込んでスケッチに出かけてました。それくらい燃えていたんですね。
今から思うと病気にならなかったのが不思議なくらいです。

それくらいの狂気をもって燃えていると、それまでスケッチにそれほど興味がなかった人たちも「私も行きます!つれていってください!」と一緒になって燃え上がることがあるのです。

 

熱意ってうつるんです。

 

だけど、短期間のうちは一緒になって燃えているんだけど、時がたつと免疫ができるのでしょう、やがてついていけない、となって離れていくのです。
熱意ってのには、感染だけではなくて免疫のようなものもあって、そんなところもウィルス感染にとても似ていると思います。


ポジティブな熱意の感染ならばいいけど、ネガティブな熱意の感染ってのもあります。
それほど興味もないし、やりたくもないものに、つきあわされたり、引きずられたりするケースです。
うつる。というより、うつされる。という感じに近い。
一般的に、感染というもののイメージはむしろこちらの方が近いと思います。
にげたい。とか、やめたい。と思っていても、逃れられず、引きずられ、地獄のような苦しみになる。

例えば、納期が迫ってきたりしている業務では、責任者がピリピリしています。
ふだんは温厚な人間ですら、峠を越えるまでは、ずっと空気が張りつめていたりする。
へたに声をかけたりしたら、ドン!と大きな爆発を起こす。
まるでガスの充満した部屋でマッチを擦るようなものです。

で、こんなピリピリした感情も、近くにいる人間に感染するんです。
本業に関係のない、機材の運搬を手伝ってもらっていた人が連絡待ちで、そのピーンと空気の張りつめた業務部屋に一緒にいたんです。
すると、責任者がちょっと大きな声をあげたことに連動して、その人までが、いきなり怒鳴り出して。
あなたが怒るようなことはないだろう。とびっくりしたんだけど、今振り返ると、感染していたんですよ、あれは。

全て自らの主体で動けている人、確たる思いで動いている人は、むしろうつすことがあっても、うつることなどないのだろうけど。
それほどでもなく、普通にやっている人ってのは、うつりやすいんじゃないだろうか。


なんだか、最近、たくさんの面倒に感染しているような気がしてます。
どこをみてもしんどいのです。
切り捨ててしまいたいと思うけど、切り捨てたら、もう二度と相手にもされないようになってしまうような崖っぷちにいるような気もして、やすやすと切り捨てることはできない。とにかく、しがみつくしかない。だけど、適当にしがみついて、ごまかしとこうとしても、すぐに看破されてしまうから無下にもできない。
逃げ場がないのです。

人生の試練としてもう少し耐えしのぶべきか。
大きな変化も覚悟して、白旗をあげて感染治療につとめるべきか。

大きな岐路に来ている。□