心の旅

東京への転勤が決まった。


いつかこうなることは覚悟していた。
ここ数ヶ月は週の半分以上を東京で過ごしていたのだ。当然といえば当然だろう。


早くて10月にも8年間暮らした大阪を離れ、また東京の人に戻る。



思えば8年前、全ての友人・知人を置いて東京を離れ、未開の地・大阪に足を踏み入れた、あのときの不安。早く東京に戻りたい、と思ったことがなつかしい。
だが、今となれば大阪の土壌に張った根はそのときの想い以上にず太くなって、引き抜くことが極めて難しくなってしまった。皮肉なものである。


しかし、転勤について以前怯えていたような恐怖や不安は最早、皆無である。
歳を重ねるごとに距離に対する不安はどんどん薄れている気がする。
大阪にいながら半年以上も会わない仲間もいれば、東京にいながらにしても半年に1回は会う大阪の仲間もいる。距離などは不安の材料にはならない。
ただ、唯一京都を離れることだけが「不安」、というより「無念」である。
8年前、やたら京都京都という自分に対し、京都出身の友人に言われた。


「本当に京都好きなんだな。でもそのうち飽きるって」


そんなものかもしれない。という気がした。
だが、京都に対する想いは年を重ねるごとに深く厚くなっていった。


一体何度足を運んだことだろう。


主要な神社仏閣には何度も足を運んだし、スケッチも飽きるほどした。
桜も紅葉もまぶたに焼きつくほど眺めてきた。
祇園祭には例年足を運び、木屋町では酒を飲み、伏見稲荷では初詣をした。
3年間、イラスト学校にも通った。


公事での礎が大阪で作られたとするならば、
私事での礎は京都で作られたといっても過言ではない。


そう思うと関西を離れることはやはりさみしい。だが、しばらくすると東京を離れるのがまた嫌になっているのかもしれない。そしてそのころにまたひょっこり関西に戻ってくることになったりするのである。そんなものである。



とにかく前向きに。気分一新で東京での新生活を受け入れたい。


まず新しい住居を探さなくてはならない。


さあ、どこに住もう?□