ハーメルン

massy2007-05-19

どこか遠くから聞こえてくる祭囃子で目が覚めた。


浅草では5/18〜5/20の3日間、三社祭が行われている。


外が気にはなったものの、出品間近だし、周りのことに振り回されてる場合じゃねえ!と自らを戒め、自室に閉じこもって絵筆を握っていたのだが。
14:00頃、遠くで聞こえていた祭囃子が、にわかに近づいて来ているような気がした。
窓から外を見ると、なんと祭囃子の山車を先頭に、御神輿がえいさほらさとやって来ている...!


戒めも忘れ、本能的にサンダルで表に飛び出してしまった。


男どもの猛々しい掛け声を祭囃子が彩り、神輿がゆっくりと目の前を通り過ぎていく...。


神輿はいい。すっかり見入ってしまう。
僕らの世代が、前の世代からその「形式」を受け継ぎ、その教えに従い「形式」を再現する。そして僕らもまた次の世代にバトンを渡す。こうして形はなくとも「祭」という「文化」は未来永劫、残されていく。そうやって僕らが今目にしているもの、感じたものと全く同じものをはるか昔の人たちも目にしてきているのだ.....。
神輿を見ているとそんなはるか永い年月の積み重ねとその深さを感じてしまう。


ふと中心地の方はどうなっているのか気になり、その後散歩がてら浅草寺方面に歩いていったのだが、こちらは更にすごいことになっていた。


浅草神社から怒りにも似た猛々しい掛け声とともに、次々と現れる神輿。量産型ザクのようだ。
そしてそれを取り巻く人、人、人、そして屋台。すごい熱気である。
20mくらいの間隔を置いてその十数騎の神輿がゆっくりと、浅草寺の境内から仲見世通りへ、商店街の中へ、そして浅草一帯へ、堂々と前進していく。
なんというエネルギーだろう。なんという美しさだろう。
祇園祭を女性的と例えるならば、三社祭は男性的と言えるだろう。三社祭は男祭だ。
見る人間、担ぐ人間、支える人間、その場にいる全ての人間のエネルギーが一点に集約されて大河のように流れ出し、雷門、伝法院通りを突き抜けていく。すっかり圧倒されてしまい涙が出てくる。


ちょっとした散歩のつもりが、神輿から目が離せず、ハーメルンのように町中を練り歩いてしまった。


19:45@自宅。未だ祭囃子の音やら、掛け声が遠くから聞こえてくる。祭は終わらない。□