みんなの芸術

父が自分の絵を理解できない。と言う。


父にとっていい絵とは「形や色が限りなく本物に近く描けているもの」であり、それ以外の絵はどこがいいのか分からないようだ。


絵画というものは「視覚から入る感覚への刺激を楽しむもの」であり、必ずしも見たままのとおりに描けばいいというものでもない。視聴者も実際に見たとおりのものが描かれていると期待して見るものでもない。
例えば、何を描いているかわからない絵であっても、色の置き方が綺麗であると感じたり、フォルムが面白いと感じたりできればいいのである。といった説明をしてみた。


一度はそれで父も引き下がったが、次に会うとまた同じようなことを聞いてくる。
最初は冷静に説明しようとしていたのだが、だんだんとイライラしてきて、


「芸術は鑑賞する側にもリテラシーが必要なんだ。
 見る側で努力もしないでわからん、つまらんなどと言う人はもう見なくていい!」


...みたいなことを言って追い返してしまった。



が、そんなことを言ってしまったこちらの方が「敗け」なのである。
作り手は自らが感じた何らかの感動を絵を通じて人に伝えるという目的がある以上、人を選ばずそれが伝わらなくてはならない。それができない絵はやはり失敗作なのだろうと思う。


芸術は、芸術のための芸術ではなく、みんなのための芸術でなくてはならないと考える。


芸術という言葉に隠れ、理解できないものを理解させようとするエゴイズムとは決別しなくてはならない。


が、あの父親を面白がらせる絵など本当に描けるのか.....? 正直自信はない。□