妙心寺展@京都国立博物館

妙心寺展の見学で、京都国立博物館へ行ってきた。


展示の内容以前にまず入口にたどり着いたとたん、目に入った衝撃。


「"龍虎図屏風"は4/21からの展示となります」


.....ひどい話だよ、これは。
確かに調べて行かなかった自分も悪いのかもしれないけど。


本展覧会の「心臓」ともいえる作品が展示されていない、というのである。


国宝関係の展示会って、やたらこういう「罠」を張る。
前も別の展覧会で、俵屋宗達の「風雷神図屏風」が展示期間外で展示されていないことがあった。


出直そうか...とか考えたけど、先へ伸ばせば行く機会はどんどん減る。
要は今日しかないのだ。


受付で、「半券を持ってたら後日半額で入れないの?」と聞くと、そういうのはない、という答え。


それくらい考えてほしい。例えば、2回来場する人向けの券を作るとか。


展示内容入れ替えるとあれば、全部見たい人だっているに決まってる。
音声サービスだの巨大な映像スクリーンだの、そういうことには必要以上にお金かけているというのに、こういうところには気配りがないのだ。
半券をたらいまわしにされたり、運営側も課題があるのかもしれないけど。
考えて欲しい。


さて、いきなり出鼻をくじかれた感じではあったものの、展示はすばらしいものだった。


正直、前半の経典とか肖像画とかは全然面白くないと思っていた。
一体この何が面白いのだ?と。
見たいのは後半の屏風絵だけだ、と思い、早足で飛ばして見たのだが、2周目にざっくりと復習するようにつまみ食いしながら改めて見て行くと、これがなかなか面白い。


1つ1つを鑑賞するというより、これらが展示された全体の空間を練り歩き、浸り、興味があるものの前で立ち止まってじっくり見たりする。


全部を理解する必要はない。というかできない。欲しいものだけ摂取する。


こういう見方をするようになると、何周回っても見れば見るほど味が出てきて、結局全部知りたくなってくる。


要は、文字のうまさとか、紙の古さを見るのではない。
この文章が何を表しているか、とか、これが書かれた時代背景に思いを馳せる。ということなのだろう。


じゃあ現物の展示など見ずに、後日書籍とかで解説を見れば終わりじゃん?という意見も出るかもしれないが、では、後日になってそんなものを見る人がどれだけいるというのだ。と言いたい。


つまり、こういう特殊な場所に来ることで、歴史を学ぶきっかけを作っているのだ。
この機会に普段は興味もないものをじっくり勉強しようという。それが展覧会の本分なのだと思う。


そういうことに気がつけたことが大きな収穫だったと思う。l


そしてこれまでそういう見方ができていなかった自分は、過去の展覧会を無駄に消費していたと気付き、本棚に置かれた図録を紐解くのであった。□