ヴィヨンの妻(9点)

すばらしい映画だ。


本年度のキネマ旬報邦画のベスト3には食い込むと思う。
もしくはベスト1かもしれない。


最近あまり映画館で映画を見れていないのだが、これほどの映画が年内にポンポンと出てくるとは思えないし。



大谷を「なんてひどい奴だ」とか佐知を「健気ですばらしい女性だ」とか。
そういう感想も多いのだろうけれども。


この映画にストーリーはない。翌日にはどんな話だったかなんてすっかり忘れてしまった。


この映画にあるのは唯、唯、松たか子演じる佐知の表情。それに尽きるのではないか。


佐知という女性が置かれた境遇、そしてそれを受け入れる彼女の性格、人柄、生き方を映し出すその「表情」。これこそがこの映画の最大の見所なのではないか。


大谷のろくでなし的な発言や行動、佐知の働き口である椿屋という舞台、全てはその表情を引き出すための手段でさえあるように思う。


松たか子は大谷が引き起こす不条理に対し、見事なまでの表情を演じ分けていると思う。


・居酒屋で金も払わず酒を飲み干し、挙句の果てに5000円を奪って逃げた大谷の話を聞いて、身内ながら思わず笑い出してしまう表情


・浮気をしていると大谷に疑われてすねる表情


・居酒屋の客である若手の工員(妻夫木)に告白されたところを大谷に目撃され、泣き崩れる表情


・愛人との心中未遂で殺人扱いにされた大谷を、それでも弁護してほしいと願う決意の表情


・弁護士に費用を払えずに体を売らざるをえず、事を終えた後、口紅を捨てる表情


・桜桃の実をほおばり「生きていさえすればいい」という最後のあの表情


最近の自分はとてもひねくれていて、いつもけなす箇所を探すようにして映画の隙を見てしまうのだが、正直、「けなすところがない」。


ただ、浅野忠信演じる大谷は監督の狙い通りなのかどうかがわからず1点減点した。


大谷の口から滑り出す言葉が、文字通り「滑っている」感じがしてどすんとこないのだ。
浅野忠信の一般的な好印象が強くて、どうも憎めない。
それが「憎みきれないろくでなし」を劇中に置きたかった、という監督の意志なら文句はないのかもしれないけど。
肌がすべすべで、無精ひげもなく、着物もしっかり着ている浅野忠信が、人生がつらいだの、死ぬだの、ろくでなしをやっても、どうしても「滑っている」のである。


主役はあくまでも佐知だから、大谷の存在を触媒的に置きたかったのだろうが。


個人的には大谷はもっと臭くて、憎たらしくてよいと思った。


なにはともあれ、大変な秀作です。レイトショーで観客は12人だったが...。□