「ライ麦畑でつかまえて」の著者、サリンジャー氏が亡くなった。
村上春樹氏の訳版が出たときに読んだのだが、正直何が素晴らしいのか全然わからなかった。
その後、「華麗なるギャツビー」も同様に村上春樹氏の訳版を読んだがこれもさっぱりわからなかった(サリンジャー氏の作品ではないが)。
更に先日チャンドラーの「長いお別れ」を読んだが、これもまたさっぱりわからなかった。
どうやら自分はアメリカ文学というものをさっぱり理解することができない体質のようだ。
アメリカ文学というものを日本語にするという段階でもう駄目なのかもしれない。
登場人物の表情やその立っている情景がさっぱり映像として頭にイメージができないのだ。
時代背景とか文化とかそういうものが活字に出てこないというのもあるのかもしれない。
これらを絶賛する人は、いったい何を理解して、どこを絶賛しているのだろうか...?
例えば、江戸川乱歩を英語にしたとしても、見世物小屋の文化があったことも知らない海外の人では、何がおもしろいのかさっぱりわからないのかもしれない。それと同じだろう。
でも人間というものはたえず変わっていく生き物だと思う。
もしかしたら今の自分ならば、少しは理解できるようになっているのかもしれない。
この機会に、世界の多くの人が絶賛したこの文学を、もう一度再読してみるのも悪くはない。と思っている。□