祈り

俺に出来ることは何だろうか.....。


この数日に次々と飛び込んでくる震災の情報は、発表されるたびにその地獄絵図を広げていくようなものばかりであり、そのたびはげしいショックを受け、恐怖すら覚える。


最初の週末が終わり、職場に出たとき、あまりにも涼しい顔をして業務にいそしんでいる連中の姿を見て、「こいつら頭おかしいんじゃねえか?」と本気で思ってしまった。


そんなもの後回しにしてでも、まずは多大な被害を受けた様々な傷口の治療に何らかの手を差し伸べることの方が圧倒的に重要だと切に思うのだが。


だが、では逆に被災をまぬかれた人間の多くが仮に経済活動の手を止めて、現場に行ったとして、一体何が出来るのだろう。とも考えてしまう。


津波で全てをつぶされた町の修復、未だ助け出されていない生存者の方々の救出、避難する人々への何らかのお手伝い、等の繊細で重大な仕事の数々を、一時的な感情で突っ走った輩が行って、本当に役に立つのだろうか。
おそらく現場を混乱させるだけなのだろう。


そのようなやりきれないもどかしさや苛立ちがずっと堂々巡りをしている。


では仮に数万円の義援金を支援してみたところで、それがどれほどの効果になるというのか。


1万円を日本赤十字社に納金してみたものの、自分の手に及ばないことをお金を出すことで他人にゆだね、責任放棄したような気にもなり、すぐに気分が悪くなってくる。


福島第一原発一号機の爆発映像は、9.11事件に匹敵するほどの衝撃を脳に焼き付けた。おそらく今後一生消えることはないだろう。


どこかで、チェルノブイリのようなことは日本で起こるはずはない、という自惚れのようなものがあったのだろう。


あの映像には日本の全てが終わったような衝撃があった。


目が覚めるたびに地獄が更に広がっている日々。


一日でも一秒でも早く、全てが終わり、復興に向かっていけるよう祈る。それしかできない。□