「合コンにいかないか」と声をかけられた。
業務多忙を理由に「行けません」と断ってみたが(実際にあほみたいに忙しい)、「折角の機会だぞ、本当に来ないのか」と追い詰められ、断るにも断れず、行く展開になってしまった。
もちろん嫌いではない。むしろ好きである。
だが、合コンという席はパートナーを見つける場所か、と問われると自分は「否」という結論に至っている。
主たる目的が、パートナーを見つけることなのに、それを目的でない。と結論づけた瞬間、もはや合コンなど、参加する理由はないのである。
合コンというものは、冷静を装ってみても、結局装っているだけで冷静にはなれはしない。
お互いの目は、結局、白馬の王子様と絶世の美女をひたすら追ってしまっている。結果は始まって5分くらいで出てしまっていたりする。
互いが極めて冷静でもっと互いの深い人間性を見つめることが出来、かつ互いの感性が引き合うという2つのハードルがクリアされない限り、カップルは誕生しえない。
確率はゼロではない。が、極めて低いと思っている。
しかも自分にとっては(これが一番大きいのだが)、今別にパートナーを探しているわけではない。という状態なのである。
これでは仮に相手が自分に興味を持ったところで、とりつく島もない。パートナーなど見つかるわけがない。
そんな理由で「合コンは卒業」というより「合コンは中退」した。
自分は、「味方」となってくれる存在を探しては、いるのだ。
だが、女性としばらく話しているうちに「あ、敵だ」という結論にいたり、すうと気持ちが離れてしまう。
男はロマン。女性はリアル。というが、まさに言い得て妙。である。
自分は、女性と話しているうちにその「ロマン」への理解のない「リアル」なまなざしに幻滅してしまう。
絵画制作を人生の主目的に置いているやくざものに、リアルを求められても、とても応えられない。応えるつもりなどない。と、匙を投げてしまう。
貧乏でも愛があれば。などという。うそをつけ。
俺が本当に職もなく、その日暮らしのニート的似非画家を演じていたら、たぶん女性は話しかけてもくれないだろう。
こんなありさまである。
ここにきて逆転サヨナラ満塁ホームランが出るとするならば、そんな面倒くさい論理思考を完全に破壊するほどの狂おしいばかりの下半身の欲求が目の前に現れるか、ぐらいしかないのではないか。
ということで、この合コンもきっと見え透いた結末がおとずれることになる。
面倒くせえな、俺って.....。自分自身の面倒くささに、ため息が出る。
でもこういう呪縛的思考傾向、実は今の日本男子に多いんじゃねえか?□