主人公のイングマルがところどころ「彼らに比べたら、僕はまだまし」と連呼している。
大変な境遇の中、他人と比較して自分はまだましなんだ。と思い込むことで、なんとかその苦境を乗り切っていこうという、世界との協調を学び始めた少年の声を感じた。
よっぽどたいへんな境遇にある子なんだなあと思ってみたのだが。
.........結構楽しく生きているじゃねえか。というのがストレートな感想。
男子と一緒にサッカーしている女子の、胸が大きくなっていくことの悩みを聞いてあげて、好かれてしまったり。
ガラス細工の工房で働く年上のおねえさんが、彫刻家のヌードモデルに行くのに同伴したり。
よぼよぼになったおじいさんの楽しみで、下着雑誌の朗読を頼まれたり。
庭先に作ったあずまやでおじさんと男だけのロマンの世界を過ごしたり。
満たされない境遇を嘆きまくるだけの映画かと思っていたが、主人公のイングマル君は、行く先どこでもモテモテでひっぱりだこなのである。
でも、彼はいつも眉間にしわを寄せていて、そのうれしさ、楽しさに気が付いていないようだ。
おかあさんとたくさんお話がしたいのに病床でゆっくりお話しできないこと。
大好きなわんこのシッカンがどこかの施設に預けられてしまって一緒に過ごせなくなってしまったこと。
おかあさんの療養中にあちこち親戚を渡り歩かされること。
確かに彼にも大変なリアルがあって、不条理な現実を受け入れざるを得ない日々が続いているのかもしれない。
けれど、この映画はその彼の境遇を俯瞰する視点で描かれていて、俯瞰する視聴者は、彼の境遇に同情するどころか、むしろ「なんともうらやましい」と感じてしまう。
これって、実は我々も同様、毎日大変であるかもしれないけれど、他人はこちらのことをそれほど大変とは見ていなくて、むしろうらやましいと思っていたりするものなのだよ。ということを思い出させてくれている映画のではないか。と感じた。
いつもないものばかりに目を向けて、何もない。何もうまくいかない。というのではなくて、実は、僕たちは、たくさんの感謝に助けられて生きているのだな。ということを、この映画は思い出させてくれたように思います。
元気でたよ。ありがとう、イングマル。僕もがんばる。□