「罪と罰」について。

グランフロント大阪にて、亀山郁夫先生の講演会「罪と罰の衝撃」を聴講。


以前からずっとお会いしたい、お話を聞きたい。と思っていたが、大阪にやってくるという情報を得て真っ先に聴講を決めた。


罪と罰」は亀山郁夫先生の新訳でようやく読破できた。


だが、とりあえず読んだ。というだけでその深さにはほとんど触れることはできていない。



一番の興味は、



なぜ亀山先生が、あるいは世界中の人々が、この「罪と罰」という作品に一生を捧げるほどのモチベーションを持ちえたのか?である。



世界中にに優れた文学が無数にある中で、どうしてドストエフスキーなのか?どうして「罪と罰」なのか。そこが知りたかった。



準備されたパワーポイント資料は100枚以上。


白熱した講演は予定時間の90分を大きくオーバーするほどに続いた。


講演には途中で様々な分岐点があった。そちらの切り口に入っていくだけでもさらに90分は語れてしまうというような。それを抑えながらの講演であった。


つまりそれほど多面的な切り口があり、謎や興味が尽きない作品であるということなのだ。



人間の尊厳をテーマにした物語そのものの深さに加え、ドストエフスキー自信の思想や、彼が生きた歴史的に重要な時代背景を読み取るキーワードがギミックのように隠されている。


例えば、主人公の名前「ロジオーン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ」だけをとってみても、頭文字はP,P,Pでありそれは666=悪魔(ロシアを根本から変えるもの)という暗示であること。


また、この物語が13日間の話なのか、14日間の話なのかはいまだ議論が揺れているということ。


等々....(今回の講演で知ったことです)。



なんだか話を聞いているうちに、規模や分野こそ全く違えど、20年前の新世紀エヴァンゲリオンの熱狂を思い出した。


使徒とは何か。どこからやってくるのか。人類補完計画とは。といったことを日本の多くのファンが独自の解釈でネットに発表していた。



どうしてもひきつけられるもの、答を出したいもの。そのような強い知的フェロモンを作品がぷんぷんと匂わせているのだ。



当初自分がいだいてた「なぜ「罪と罰」なのか」は、これらの講演からなんとなく見えてきたように思う。だが、それもとっかかり程度のものだ。確かに一生を捧げるほどの深さがある、それは見えてきたように思う。



最後に亀山先生にサインをもらって会場をさった。



脳みそにちくちくと刺激があり楽しい講演会だった。



この読書の秋にまたこの大作を再読してみたい。□