熱狂

プロ野球を見なくなって久しい。




時間が取れないということもあるが、そもそも「熱狂」があまりできない。


かつての熱狂を捨ててからは、結果よりも、むしろひとりひとりの選手のがんばりを、自分への戒めとするために見てきた。とても冷たい目で。そこには感情は一切なかった。




だが、このたびのクライマックスシリーズ


セ・リーグ覇者の巨人が阪神にストレートで敗れ、日本シリーズ行きを逃したと聞いたとき、



正直、ムカムカした。



未だに自分にもこんな感情が残っていたのか....。ということに驚いた。


なんだかんだ言って、いくら試合観戦から遠ざかろうが、やはり自分の生まれ故郷への誇りのようなものは、無意識ながらしっかりと心の中に息づいていたのだった。
そして、彼らの戦いにわが故郷の誇りをゆだねていたのだった。ムカムカした原因は間違いなくここにある。


たぶん、ファンの熱狂というのは、単に「自分が実現できなかった夢を選手に託す」ということだけではなくて、「地元への愛、誇りを選手にゆだね、よりいっそう輝かせてほしい」という願いもあるのだな、ということに今更ながら気が付いた。



さてそんな自分なのだが。


ちょうど大阪マラソンを走りに大阪にやってきた大学時代の友人から連絡があり、甲子園へ日本シリーズ(虎VS鷹)を観に行くことになった。



プロ野球を久しぶりに見てみたい。という気持ちはもちろんあって「行こう行こう」と言ってはみたものの...。


心境は複雑だった。


もちろん、従来のように中性中立の目で、選手ひとりひとりの頑張りを応援すればよいだけのことである。


だが、やっぱりこのたびは地元への愛を踏みにじられた屈辱のようなものが、なんだかふっきれず、焼き付いている感じがしていたのだ。


大袈裟かもしれないが、隠れキリシタンがマリア様の像を踏み絵させられるような気持ちに近かったかもしれない。



だが、実際に甲子園球場に足を運び、試合が始まってみれば、試合はBGMのように流れ、球場を会場とした宴会となるのであった。


試合が揺れて盛り上がり、日本が元気になればいいな。とだけ願って試合を見ていた。


そしてファンの真剣な熱狂のまっただなかにいて、その純朴さにちょっとキュンとした。



だが自分は、やっぱり試合には熱狂できなかった。



どうして選手たちが人をあれほどまでに熱狂させられるのか。そこに熱狂した。



めんどうくさいね。でもこれがものづくリストの血なのです。□