スーパーの男

業務と絵画制作の板ばさみにあって、

のっぴきならない危機に陥っている時の、最高の避難場所は?と問われたとき。


「居酒屋!」と即答する。


「居酒屋は心の銭湯」という誰かの名言のとおり、

自分は居酒屋によって何度も精神崩壊の危機を救われてきたと確信している。


駄菓子菓子。

「毎日居酒屋に避難」というわけには、

経済的にも体調的にもうまくいかないのが現実である。

それでは、居酒屋に避難できないときの第二の避難場所は?と問われたとき。


「スーパー!!」と即答する。


2015年初頭から、完全自炊生活に切り替えた。

もともと週の半分を自炊、半分を外食という生活を送っていたのだけれど、

慢性的な胃弱のため、味の強い外食やコンビニの弁当には最早、耐えられなくなってきていた。

この機会に中途半端な料理のスキルを棚卸しして、しっかりやり直してみたいと思った。

 

以来、スーパーに通う頻度が、ドンと増した。

しかも、これが思っていた以上に自分の仕事の息抜きとして機能している。

 

スーパーは、日日驚きと発見の連続である。

 

ものづくりの終焉といわれるまでに洗練された日本のものづくりは、食品業界においても終焉を迎えているようだ。

ほしいと思ったもの、そして「こんなものまで!」が概ね全て商品化されている。

 

だし汁を作りたいと思えば、溶かすだけで美味しく出来る粉末がある。

 

回鍋肉を作りたいと思えば、野菜を混ぜるだけでつくれるソースがある。

 

生姜がやニンニクは自分で摩り下ろさなくてもチューブになっている。

 

棚を覗き込むたびに新しい発見があり、次はこれを試してみよう。という意欲につながっていく。


料理を始めるとすぐに「なにかを作ろう」が「残っている食材で何が作れるか」にシフトする。すると、パズル感覚でレパートリーが連鎖的に広がっていく。

 

結局、料理もものづくりなのだね。

 

この1年くらいでスーパーの全てをしゃぶりつくす所存でおります。

 

その先に何が待っているのか、どんな自分になっているのか。

 

そのときの自分を、またここで報告したいと思っています。□