孤独論

 

孤独を噛み締めている。

 

孤独にもいろいろあると思う。

「パートナーが居ない。一人で寂しい」というのもひとつの孤独なのかもしれない。

だが絵を制作し発表を続けていく中で、もう一歩、深い孤独が見えてきた気がする。

前衛的な位置に身をおいて主体となり、当事者となり、発表を続けていくこと。


大切な人々、大切なもの、そういったものを
すべて置き去りにして走ってきているように思う。

ふと我に返り、周りを見渡したときには最早ついてきてくれている人は誰も居ない。

もう戻れない。とりかえしの着かない場所に世界をおいてきてしまった。

そしてこれから益々、とりかえしの着かない深淵に向かおうとしている。

あたかもウラシマ効果に巻き込まれた若者のような気持ちか。

進めば進むほど大切な人やものは消えていってしまう、寂寞とした気持ち。

引き返すにももう引き返せない。

それでもこの先にすべてを犠牲にした上でもたどり着きたい場所がある。

個展の制作中、そういう気持ちに振り回された。まだまだ修行が足りない。

そして展覧会の開催にたどりついたとき。

そのわずかな時間。

ようやく許してもらえたような気がするのだ。

その一瞬のために、全部をなげうって制作する。

それが自分にとってのものづくり。なのです。□