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ある死について

 

「死」には物理的な死と論理的な死があると思う。

 

肉親や大切な人が亡くなって、ほんとうにこの世から
いなくなってしまうことを、物理的な死とするならば、
この世に生きてはいても、これからの人生において、
二度と会えなくなってしまった大切な人は、
論理的に死んでしまった。と、捉えられる。

同じ世界にいながらにして、決して会うこともできない。
お話することもできない。
その人は最早自分にとって死んでしまったと全く同じなのだ。

この死は「喪失」という言葉に置き換えられる。

 失恋もひとつの喪失。

失恋とは「世界で最も大切な異性の論理的な死」なのです。

世の中では、他人の失恋話をコメディのようなネタにする傾向が
あるようだけど、それは他人の大切な人の死を笑いとばすという、
ある意味卑劣な行為ともとられる。


死んでしまったんだよ。大切な人が。笑っている場合か。


だから、
失恋をした人々には、
喪失をした人々には、
心から追悼の言葉をたむけるくらいでなくてはならない。
と思うのです。

ごうごうと燃え盛る広大なマグマを、1日1杯のコップの水で
鎮火させるような、そんな絶望的な永遠ともとれる時間から
彼らが蘇生するまで。

僕らは哀悼を示し激励しつづけてあげなくてはならない。□