去っていくもの

去っていく人がいる。

もう100号は描けません。

しんどくて続けられない。

せっかくここまで来たのに。

引き留めたい。

でももう決めたことだから。

と彼は去って行った。

大作の制作は本当にきついものです。しかも毎年来る。

決定した構成のはずなのにキャンバスの上で裏切られる。

しかし大海原に出てしまっている。もう後には戻れない。

沈没しかけた船で、途方に暮れながらもなんとか目的地に

到達できる手段を探さねばならない。

体に火がつけられたような状態で水を探すような気持ち。

転げ回るというのはまさにこんな状態のことではないか。

逃げたい。やめたい。いつもみんな思っているのだろう。

でも去ってしまったらもう本当に二度と戻る機会は無い。

なんだかんだで、僕らは締切によって生かされている。

締切のおかげでなんとか仕事を捻り出して、世界を前に

進めている。

では締切がなくなったら?

僕らは糸の切れた凧のようにどこかへ飛んで行ってしまう

だろう。


不自由こそが自由。なのです。


幾度となく大作制作の修羅場を乗り越えてきたというのに、

彼はこの自由に気づかなかったのだろうか。

やめるのは簡単。でも戻ってくるのはきっともっと大変だ。

今自分を縛る糸を切っても、きっと次の新しいフィールドで

また次の糸に縛られ体を焦がす日日を過ごしていくのだろう。

僕らは決して脱獄のできない春の牢獄で一生を生きていくのだ。

新しいフィールドでの彼の活躍を心より願っている。□