「もう駄目だ、何も出てこない!!」
と、久しぶりに開いた東山魁夷の画集。
何度も何度も見てきたはずなのに。
改めて驚いてしまった。
なんと深いのだろうか。
単なる平面であるはずなのに何層にも
階層を感じ、見ているだけ絵の中に吸い
込まれていくような気持になる。
初めて見たのは15年以上前。
当時の自分と今の自分は同じ絵を見ている。
それなのに明らかに違うものを感じている。
自分も歳をとり、価値観や視点も変わって
きているが、その変化に合わせるかのように、
東山魁夷の作品もいつも表情を変えて自分を
楽しませてくるのである。
これから10年後、20年後にまた紐解いた時も
きっとまたその時しか見られない感覚に
響いてきてくれるのだろう。
そして高橋留美子先生の「めぞん一刻」。
この漫画も読むたびにそのときならではの
感覚や驚きを受けるのである。
僕が初めて読んだときは中学生だった。
そのとき、主人公の五代君は浪人生であり、
ずっと年上のお兄ちゃん。だったのだが、
僕が大学生になったときには、
彼は同世代の友になり
僕が社会人になれば、
青春を送る後輩となっていった。
彼はいつもその時の僕の新しい鏡となって
現れるのである。
作品とはこのようなものでありたいと願う。
こんな仕事を残せたらいい。残したいと願う。
いつになるのか。果たしてできるのか。
増田力也はずっと心の学校を卒業できない。
終わらない学園祭はまだまだ続きそうです....。□