「僕は自分を誰とも比較しない。
最後はいつも自己評価だ。
自分の評価が100点ならば、
他の誰がどう言おうと僕は100点なのだ。」
先輩の言葉である。
先日先輩と飲む機会があり、この言葉をもう一度確認した。
本当に自己採点が100点であれば満足なのでしょうか。
たとえそうであっても、他の誰もがその仕事を認めてくれなかったら
残念ではないでしょうか。と。
けれど、それでも先輩は「自分が100点ならそれでいい」と答えた。
僕はその言葉をどうも信じられなかった。
たとえ自己評価が満点であっても、世界の誰もがその仕事を
評価してくれなかった時、
それでも「満点だ」などと言っていられるのだろうか。
もちろん、自分の仕事に自信をもつことは大切だけれど、
仕事は世界の誰かのためになったり、誰かからお褒めの言葉を
頂くことができたとき、初めて満点となり、世界とつながることが
できるのではないか。
と思うのです。
自分だけ100点といいながら誰も観てくれていないというのは
寂しくはありませんか。
そう思っていました。
........が。
このたびの個展で発表したF50号の「追憶の庭」。
この作品を完成させた瞬間、
僕は自己評価100点を感じてしまったのです。
言葉で言い表せない達成感でした。
この1枚を描くためにこれまでの15年があったといっても過言でないほどの。
もはや、誰も見てくれなくても、誰も評価してくれなくてもいい。
それでもこの作品は自分の一つの到達点だ。と確信をもってしまったのでした。
先輩のいう自己採点100点の瞬間が確かに存在することを知ったのでした。
きっと先輩は日日そういう気持ちで仕事に臨んでいるのでしょう。
もっといい仕事をしなくてはいけません。
僕はもっともっと先へ行ける。ピリオドの向こうへ行ける。□