僕らはおしゃれをする。
僕らは食卓に花を飾る。
きっとそれは、日日続いて行く、厚く、重い日常を、
少しでも非日常で彩ろう、というささやかな抵抗なのだと思う。
「彩りはどこまでもさりげなくてはいけない」
あたかもそこにずっと前から咲いていたスミレのように。
先日出勤時、歩きながら電気カミソリで髭をそる男性を目撃した。
ついにここまできたか、と思った。
身だしなみを整えることも、自らに彩りを与え、
世界に向けて非日常を還元する尊い行為である。
彩りはどこまでもさりげなくてはいけない。
それがたとえ作りものの彩りであったとしても。
「彩りが作りものであることは決して人に見せてはいけない」
例えばドラマで、美しい女性が涙を流す感動のシーンがあったとする。
その直前に女性が目薬をさすシーンが入ったとしたら....どうだろう?
ドラマは、虚構である。
カメラに映っていない舞台裏では、女性は化粧をして、
目薬を差しているかもしれない。
それでも作り物であることを僕たちは忘れて、
カメラの中の美しい女性の涙を、その彩りを見たいと願っている。
だからこそ舞台裏は見せてはいけないのです。
たとえ虚構の中であっても、
彩りはどこまでもさりげなくあらねばならない。そう願います。□