通勤時間2時間の人は、
窮屈の中に、いかに時間を活かすか、を
真剣に考え、その技を体得する。
限りある時間の中で、ポイントを見極め、
無駄を省き、最高のパフォーマンスを生み出す。
だが、
仮にその人が通勤時間5分に変わったとして、
更なるパフォーマンスを生み出すか?と問えば、
必ずしもそうではないようだ。
それどころか、余った時間に気が緩み、
むしろ時間の活かし方は悪くなったりする。
自由とは何か。
窮屈な時間の中におかれたとき、
人は初めて真剣に時間を考え、
動くことができるようになるのかもしれない。
自由は不自由の中にこそあるのかもしれない。
いつも、いつでも、
不自由の中に自由をみつめる人間でなければならない。□