守破離の離

これまで15年ずうっと師匠の指示に従ってきた。

だがもうそろそろ守破離の「離」に差し掛かっているのでは無いか、
という気持ちになってきている。
正しいと信じてきた師匠の言葉にも大きな失敗やミスがあり、
記憶から容易には消せないダメージを受けることが重なった。
そのダメージは小さくとも長い時間をかけ蓄積を続けているうちに
限界点を越えてしまったようにも思う。
当たり前だが、師匠も神ではない。
そして自分が寄りかかりすぎていたところも多かったと思う。
しかし、そんな補助付自転車の時代はもう終焉を迎えているように思う。

先日、まんがで日本の歴史を読んでいる旨を話した時、
「そういうものを信じるのは危険だ」と言われた。
一体なにが危険なのだろうか。では逆に安全とは何か。
まんがだろうが書籍だろうが、優秀な学者が工夫を凝らして
研究を重ねて作っているものである。
しかも小さな子供にまで間違え無く伝えようとしている点では
大人を相手にしている書籍より余程慎重に作られていると思う。

人間は、長い人生の中で積み重ねてきたものや事例が多くなるほど
これまで正しかったことで高く堅牢な失敗を排除する拠り所の壁を作り、
その囲われた空間から出てこれなくなる。
危険と決めたものは生涯ずっと危険のままで人生を逃げ切ろうとする。
ときにはその成功事例は続く者への貴重な糧になることもあるだろうが、
それは絶対でもない。

今、自分はターニングポイントを迎えたのだろうと思う。
これからは師匠の言う全て反対に進んでみようと考えている。

そして新しい自分を作っていく。

それが師への感謝報恩でもあるのだと信じている。□