父と娘

美術館は絵を見るためだけの場所ではないと思う。

僕は絵を観に来ている人間も眺めることが多い。

国立新美術館で開催中のジャコメッティの展覧会は、
2017年でもっとも哲学的で難解な作品を眺める機会であったと思う。
アルベルト・ジャコメッティ
このおっさんはいったい何がしたいのだろうか....?
そして何故誰もが「ジャコメッティジャコメッティ」と
彼の名を呼ぶのだろうか。
観るほどにそんな疑問は解消するどころか一層、絡まり積み重なる。
哲学者・矢内原伊作氏との交流が続き、少しでも時間があれば
新聞の片隅にでも彼の顔を情熱的に描き続けたといわれる。
そして現れるのがあの針金のような彫刻群。
ますますわからない。この作品は一体何を伝えているのか?
ジャコメッティの作品世界には全く「色気」が無い。
スーパードライである。
会場には撮影フリーのスポットがあった。
3つの巨大な彫刻作品が展示されており、多くの客は、
スマホでカシャカシャと撮影をしまくっていたのだが、
彼らは一体どこまでこのおっさんを理解しているのだろうか。
失礼になるかもしれないが、多くの人は単なる「装飾品」としてしか
彼のことを見ていないのではないだろうか....。

そんな中、僕は彼らを見つけた。

60歳前後となるであろう初老の男性。
髪は真っ白であるが、その風貌やたたずまいから、
何かとても理知的な雰囲気を漂わせている。ふつうではない。
おそらく、学者や企業家ではないかと思わせる。
そしてその男性の横に一緒に歩く30前後の女性。
おそらくこの男性の娘さんだろうか。あるいは秘書さんか。
男性と同様、とても理知的な雰囲気を醸し出していて、
二人の姿は作品に匹敵する位、この空間にしっくりきている。
スマホでカシャカシャやる若者たちとは明らかに違う空気に包まれている。
まるで食事の代わりに「知」を吸収して生きているかのような、
そんな二人なのだった。

二人は静かに1つ1つの作品を観ながら小さな言葉を交わし、
ゆっくりと会場を進んでいった。
丁度自分の鑑賞ペースに重なったこともあり、会場内で二人の姿が
よく目にとまり、自然と彼らにも目が向くようになっていった。
一体どんな話をしているのか。
二人は、この理解困難なおっさんの作品世界のどこを見ているのだろう。
結局彼らと話す機会は無かった(当たり前だ)。
だが、彼らがどんな話をしているか、ジャコメッティをどのように
解釈しているのかがとても気になってしまったのだった。

作品だけでなく人間をみるだけでもまた一つの発見をしてしまうのである。

やっぱり美術館は楽しい。□