ほどほどの責任感

カリカリしている蕎麦屋のおばさんを、
何故、給仕しているだけなのにそんなに
カリカリしているのか。と以前、書いた。(※)
だがそれが今の自分になっていることを
はたと気づいてしまった。
毎日いらいらかりかりしている。
蕎麦屋のおばさんを改めて分析すると、
蕎麦を作っているのは大将ではありながら
蕎麦を待っているお客さんの視線を浴びる
のはおばさんなのである。
まだか?まだか?とお客さんが言っている
ように聞こえるのだろう。
遅いのは私のせいじゃないのよ。と叫びたい
のだろう。そんなことは誰でもわかっている。
だがおばさんは、勝手に客の視線を一人で
受け、焦っている。責任を勝手に抱えて、
いらいらかりかりしているのであろう。
それが、今の僕なのだろうと気付いた。
かかえる必要のない責任をかってにかかえて
カリカリしている。無駄なエネルギーである。
責任を放棄するのは良くない。
だが逆に抱える必要のない責任を持つ必要も無い。
人は僕のそんな姿をみて、僕がおばさんを
見たのと同じ軽い失望を思っているに違いない。
ゆとりを持った気持ちで堂々と生きたいものだ。□

(※) 2017年1月5日のブログ参照