平日の京都水族館は閑散としていた。
休日であれば家族連れやカップルで
溢れかっているといわれる大山椒魚の
水槽の前に座り込みスケッチを始める。
土の塊が幾層にも重なったように見える。
ほとんど動かない。ただ、生きている。
時折、下の層からゆっくりと水面近くまで
息継ぎをしに浮上するものがある。
他の客が水槽の前で足を止める。
不思議な目で山椒魚を見て、
不思議な目で僕を見る。
そしてすぐに次の水槽へ去っていった。
僕が山椒魚を「時間に取り残されたもの」
としてみるように、
他の客も僕を「時間に取り残されたもの」
としてみていたかもしれない。
でもほんとうの「豊かさ」とは、じつは、
こういう時間の中にこそあるのではないだろうか。□