価値を生み出すもの

参加しなくちゃいけない集会があるとする。
しかも、それは早朝に催され、目的も不明瞭だとする。
さらに、自分一人が参加しなくても気付かれないほどの多くの参加者がいたとする。
とても眠い。退屈かもしれない。
だけど規則だから、僕はがんばって早起きして参加する。

集会が終わった後、さぼった輩が現れて「どうだった」とあらすじを聞きに来たとする。
そんなとき僕はいつも、気分が悪くなってしまう。
来なかった君が悪い、といって突き放したくなってしまう。

いつもはそこで思考が終わるのだけど、今日はどういうわけか、その一歩先まで思考が前進した。
そもそもこの集会に、「価値が無いこと」が罪なのではないだろうか。
どうしても参加したい!
参加してよかった!
参加しないとえられない価値がある!
主催者は、参加者にそんな気持ちを抱かせるような集会を準備しなくてはいけないのではないだろうか。

例えば、落語は、あらすじだけ読んだら、わずか5分程度でわかってしまうようなシンプルな噺も多い。
だが、噺家が上手な話術で肉を付け、魂を吹き込み、そのサゲまでの過程に価値を生み出し聴く者を愉しませるものに仕上げる。
優れた噺家が話すほどに、臨場感も加わって、小さな噺ですらふっくらと肥えるのである。
どうでもいいことを、どうでもよくない価値に仕立て上げるのがプロフェッショナルなのではないか。

僕は「価値を生み出すもの」でありたい。
そうしないと、個展なんてやったって、誰も来てくれやしない。もし来てくれたとしたって、写真一枚をぱちりと撮られて、情けでインスタにUPしてもらって、さようなら。だよね。

どうしても行きたい。と思う価値をつくりたい。
どうしても会いたい。と思われる人間になりたい。旅はつづく。□