免疫と期待

映画「デトロイト」がすごいらしい。

あまり褒めないアトリエの先生が珍しく絶賛していたから「これは観ねばなるまい」と思い、観てまいりました。
中東戦争の地雷処理をテーマにした「ハート・ロッカー」、ビンラディン暗殺計画をテーマにした「ゼロ・ダーク・サーティ」など次々と話題作を発表するキャスリン・ビグロー監督の最新作です。
1960年代、デトロイトで勃発したアメリカ史上最悪の黒人暴動の一夜に起こった衝撃的な事件を生々しく描いた作品です。
確かにすごかった。2時間30分が一瞬のような迫力でした。

でも個人的には、もっとすごかった作品があります。
アメリカ史上最悪の(こればかりだな)凶悪連続殺人犯ジェームズ・ホワイティ・バルジャーをジョニー・デップが演じきった「ブラック・スキャンダル」の方がすごかったと思うのです。
あるいはレオナルド・ディカプリオが悲願のアカデミー男優賞を受賞した「レヴェナント」もすごかったと思うのです。

さて。ここまで書いて思ったんだけど「~より~の方がすごい」って本当だろうか。
自分にとってすごいものを第三者に伝えるために、二つを比較して、AよりBがすごい。という言い方をすることがあるけれど、それは自分のもつ「免疫」を基準にした発言なんだよね。

僕は「ブラック・スキャンダル」を観て、アメリカの歴史に基づいた衝撃的事件に対する免疫が作られた。だから「デトロイト」への驚きは免疫の力でやや小さく抑えられたと思うのです。
逆に「デトロイト」で免疫を作ったアトリエの先生に「ブラック・スキャンダル」を観てもらったとしても、「デトロイト」の方がすごかったということになるかと思うのです。

何を最初に観るか。ですごいが決まっていくとしたら、第三者にはそのすごさってそのまま伝わらないのだね。「すごさ」を相手に伝えるってむずかしい。

映画を第三者に薦めるとき「すごかった」という伝え方以外にいい言葉が無いかとずっと探しています。
「すごい」という言葉で伝えると、相手は大きな期待をもってしまうから、だいたい「それほどか?」という結果になったりします。
自分がすごいと感じて誰かにも観てほしい、と思った映画をどう伝えたらいいのだろう。
ずっと悩んでいたけど、これからの僕はただ「観ました」ということだけにしようと思っています。
その他、それほどでもなかったものは話題にしない。自分が「観た」と発言することが「すごかった」を伝えるようにしたいと思っている。もう少し言葉を足したいなという衝動があったとしたら「おすすめします」くらいは補足してもいいかもしれない。
ということで、僕が今後「観ました」といったときは「すごかったのだな」と察して素直に映画館に向かってください。www

その人にとっての免疫と期待のバランスというものが「すごかった、よかった」と感じる大きな要因になっているのだね。□

 

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