警鐘

心のどこかで僕は例外。とずっと思い込んでいたのかもしれない。
でも例外なんてありません。
誰にも例外は無くて、この日本はもうどこにも逃げ場はないのだということを、体で知りました。

 

朝7:58AM。
大きな揺れで目が覚めた時「ここはどこだっけ?」と思った。
大阪では地震の経験がほとんどなかったから、揺れを感じた時に、寝ぼけて東京に自分がいるかと思った。「久しぶりに揺れてるなぁ、実家に帰ってきてたっけ?」と思った次の瞬間。揺れはさらに大きな激震に変わった。

部屋が右に左におそろしく大きく揺れて、キッチンの茶碗やグラスが床に落ちた。壁に立てかけてあった100号から50号のキャンバスが、机の上のデスクトップパソコンが、横倒しに倒れた。
どこかのテレビでいつかやっていた地震シミュレーターとまったく同じ現象が目の前の、自宅の、自室で起こっていた。
これまで経験した震度4とかのレベルの揺れでは無いことを、瞬時に知った。
テレビを付ける。報道が始まっている。震度6であると報道されている。
パニックになっている。
津波は来ないか。逃げよう。
眼鏡が無い。携帯電話も無い。どこかに埋もれてしまった。
余震がこないだろうか。来る前に逃げないと。どこに逃げる?

幸いにしてその後、大きな余震はなく、徐々に頭がはっきりしてくる。

空腹も忘れ、テレビの前に縛られてしまい、気付けば昼を過ぎていた。
近所の弁当屋に行くと、客がいない。営業はちゃんとしているのに。
店員が声をかけてきて「ガスが止まってしまっていて、ご飯が炊けない」と告げてきた。多くのおかずが売れずに店内に山積みになっている。弁当屋も大きな打撃を受けている。

自宅に戻り自炊した。
じゃがいもと玉ねぎのお味噌汁、佃煮海苔とキムチ、そしてごはんをいただいた。
食べ終わった後に、一部の地域で水道水が濁っているとテレビが報道している。
濁り水でコメを炊いてしまったかもしれない。とてもおいしかったが。
近所のスーパーに買い出しに出ると、ペットボトルの水が完売になっている。

ヘリコプターのプロペラがずっと上空の空気をたたいている。
まるでここら一帯が、アウトブレイクの中心になって、監視されているかのように感じる。

関西二紀展の陳列にでかけるつもりでいたが、それどころではない。
列車がすべて停止してしまっていて、身動きがとれない。
やがて、陳列中止のメールが届いた。
急になくなってしまった予定に、途方に暮れる。何でもいいから仕事で時間を埋めたいと思った。でも結局家に縛られ、硬直するだけの一日になってしまった。
テレビでは帰宅難民が続出していることが報道されている。外に出ていたら、僕もあの一人だったかもしれない。


日本の各地で発生していることではありながら、まるで狙い撃ちしたかのように、まさにここで発生してしまったことに、なんらかの「警鐘」を感じざるを得ない。
僕は正しい生き方が出来ていたのだろうか。

明日から徐々に天気が崩れるようだ。余震が来ないことを祈りたい。□