言葉を選ぶ。

ツイッターとかLINEのすごさってのがだんだんと分かってきた気がする。
ツイッターとかLINEって文字数がとても少ない。
だから感情がほとんど乗らないんですね。
多少きつい言葉をつかっても、文章になっていなかったりするから、たいていは単なるぼやきとして世の中は流してくれる。出す側も、受ける側も、時間もかけずに出して、受けているから、深読みの必要が無い。
そこがすごい。

でも、だれでも労力を使わずに出せてしまうから「コンテンツ」にはならない。
ただ最近は、この短い文字列のやりとりを活用してコンテンツまで紡ぎあげた「チャット型小説」といったものもでてきているようだけど。

それに対して、メールやブログはどうだろう。
メールやブログは手ごわい。
メールやブログは、しっかりと文章として外に出すから、全くそんなつもりもなかったのに、行間に悪意や毒があると読まれちゃったり、読んで気分を悪くされたりすることがある。
だから、メールやブログを書くときは、頭の中にある言葉をそのまま出してはいけない。
多面的な解釈をされそうな頭の中にある言葉から、曲解される可能性のある汚い部分を極力そぎ落として、綺麗な素材にして出さないといけない。
メールやブログは、言葉を徹底的に選ぶという作業が必要なのです。
まるで田んぼでとったどじょうの泥臭さを、日本酒に漬けたりなんかして徹底的に洗い落として美味しく食べられるようにするみたいに。

言葉を選ぶ。

これ、ほんとうにとても大切です。
言葉を選ぶことを面倒に思う人や、言葉を選ぶ時間が取れない人は、メールやブログという手段を使うべきではないとすら思います。選ばれないそのままの言葉は、ときにとても他人にささります。
そんなもんだから、感情的になったりしたときなんかは、もう絶対メールやブログを書いてはいけない。
感情的になっちゃったときは言葉を選ぶ冷静さを失っていて、正しい言葉を選ぶ余裕がなくなっています。
だした翌日あたりになって、とても後悔します。でも覆水盆に返らずです。

感情的になったら、送信ボタンをおす前に、ぐっと空気を飲み込んで耐えるべきです。
そして翌日、もう一度冷静になった頭で言葉を見直してから、それでも送信すべきなら送信する。それくらいがいい。というか、そうしたほうがいい。
感情を含む言葉は、中傷するし、品も下がる。さらに敵も生まれます。いいことがない。
感情的になったときは、「逃げましょう」。これが鉄則かと思います。

ここまで書いて改めて、メール、ブログってめんどうくさいと思う。だけどその反面、だからこそ「コンテンツ」になっていると思うんです。
僕のブログが「コンテンツ」になっているかどうかはわからないけれど、「コンテンツ」にしたいと思ってやっています。やっぱり僕はなにかを作りたいのだろう。だからやめられないのかもしれないな。

今後とも僕なりの言葉を選び、選び、続けていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。□