野暮

江戸っ子です。
だからでもないけど寅さんが好きです。
寅さんは、粋です。
寅さんは、お金が無くても、旅先で会った若者に「うまいもんでも食いな」と財布からお札を取り出してぽいと渡してしまう。相手の素直さや健気さに共感してしまって、自分のことをすっかり忘れて他人を応援してしまう。
江戸の人間にとって、粋と野暮という考え方はとても大切に体に沁みついています。
粋であることに憧れます。粋になれなかったとしても、野暮だけはなんとしても避けたいと思います。

職場の宴会があります。
100名くらいで実施する規模の大きな宴会です。
僕は幹事をやっていて、恒例で組織長から、部長、課長、一般、新人という順に費用の傾斜をつけてメールで案内するのですが、今回は組織長からメールが返ってきました。

「費用が高すぎないか?
 昨年は我慢していたが、組織長というだけでとりすぎじゃないか」

びっくりしてしまいました。
これまで長く幹事をやってきましたが、こういうメールをもらったのは初めてでした。
他の幹事メンバーと相談して、数千円を差し引けるよう調整し、謝罪メールを返信しました。
でも、幹事メンバーのはらわたは煮えくり返っていました。
組織長たるもの、多くの給与をもらっているでしょうし、日日実務でがんばっている部下にねぎらいの気持ちも込めて、多めに出すというのが、少なくとも日本の社会の見えないルールというか、エチケットみたいなものだとずっと思っていました。
粋とか野暮とか以前の、常識として。
以前の組織長は、同じような宴会で「それで足りるのか」と聞いてこられて、更にお金を出してくれようとする方もいました。もちろん、気持ちだけもらってお断りしました。

幹事の一人が別のところから聞いた話では、以前も同じような事があったとのこと。
若手が何か仕事で成果をだしたとかで、組織長と宴会をやったときも、最後に「割り勘」と言われたというのです。
若手はまだ給与が少なかったりするわけだし、ましてや何かの成果をだしたというお祝いならば「今日は僕が全部出すから」と言ってあげないと。と思うのです。
今回の件は、あっという間に部署の人たちに広がって行きました。
たかが一度の数千円、数万円を惜しんだだけで、部下たちの組織長への価値が大暴落を果たしてしまった。
本人は、これまでの人生で、いっときの吝嗇がこういう結果になることを全く気付かずに生きてきたのだろうか。
野暮にもいろいろありますが、野暮の地雷を踏みちがえると、えらいことになるのです。

ぼくらはまだまだいろいろなことを学んでいかなくてはいけないようです。

人生、やっぱり粋に生きたいよね。□