プロフェッショナル

一瞬で目が離せなくなってしまう名画があれば、永く耳に残る名曲がある。

そんな芸術と同様に、何故か強く引き寄せられてしまう人間がいる。

「芸術品としての人間」という存在が世の中にはいるのです。
人間国宝とかそんなたいそうなものではなくて。
ほんとうに、とても身近にそういう方がいたりします。

10年程前、親友とフランスを旅したとき、モンサンミッシェル修道院のバスツアーに参加しました。
バスには、50代くらいの日本人男性が、ガイドとして同乗していました。
ガイドがつくということを知らなかったし、あの時は、とにかく目に入る全てのものが美しくて、珍しくて、まばたき一つするたびに、一回びっくりしている程だったので、最初はガイドが何を話そうが、何一つ耳には入ってきてはいなかったのです。
ところが。
なんだろう。そのガイドの声。強くもなく、弱くもなく、穏やかで、知的で、わかりやすい、そして楽しい。
そんな声が耳に触れるにつれて、車窓から離れなかった僕の目が、耳が、そのガイドの解説に引き寄せられて、離れられなくなってしまった。
彼の話は、どこかにのっているガイドの丸暗記を、読み上げているような軽いものではなかった。
モンサンミッシェル修道院への愛というか、想いというか。彼のことばは、彼の長い研究と時間の中で熟成されてできた、静かで、深くて、強くて、美しいことばだった。うそいつわりもない、愛が、自分の言葉となって口から発せられていたのでした。
モンサンミッシェルの歴史やエピソードから始まったガイドは、やがては印象派絵画や、フランスの歴史にまで及んで、ツアーは本当に充実したものになったのでした。

穴の開いた包丁を売っているセールスマンで例えたら、包丁の価値もさることながら、セールスマンの包丁への強い想いにうたれてしまって、ぼくらまでもが包丁を愛してしまったような、そんな感じです。
そういう仕事の仕方をできる人が、世界には、いるのです。

彼らは、長い時間をかけて強く、深く仕事と一体化して、僕らを引き寄せようとしている。
否、引き寄せようとはしていない。
僕らが、彼らの体から出すよろこびの言葉や行動に勝手に引き寄せられてしまっているのです。

「素敵でしょう?」

五月の新緑の中、木漏れ日の間をそよそよと吹くそよ風のように、彼らはいう。
僕らは知らず知らずの間に引き寄せられて「素敵です」なんて返事をしていたりする。


プロフェッショナル。ってこういう存在なのかもしれない。


僕らが1つ1つ積み重ねて行ってもどうしてもたどりつけない飛躍の上に彼らは立っているような気がする。余計なものは一切無く、大切なところにまっすぐ差し込んでくるセンスはとてもまねできるものでは無い。

これまで長い間仕事をしてきて今なお、彼らのような想いにたどり着けないのだけど、実際に辿りついている人がいることを知り、まだあきらめるのは早い。ということを感じました。□