期待しない。

 

「思いやりは、過剰な期待をやめることから。」


日めくりカレンダーにこんな格言が書いてあった。

世の中のトラブルの大半は、社会への「勝手な期待」から起こっているように、以前からずっと感じていました。

「そこへ行けば誰かが準備がしてくれている」

「頼んだことだからきっとやってくれている」

「きっとうまくいくと(無意識に)信じていた」

そんな勝手な確信・期待が裏切られたとき、僕らは勝手に怒りだして、世の中に怒りをぶつけ、対立を始める。そして、その対立はたいてい、無駄な時間と無駄なエネルギーを大量に消耗し、不毛の中の不毛で終わる。
そんな経験が重なり、以来「世の中への期待を極力ゼロにする」という姿勢を持とうと心がけてきました。最後の最後は「自責」だと。

「(作って来てくれると期待するが)相手は約束の資料を作ってきていないかもしれない」

「(アーチストが来ると期待するが)アーチストは来ず、中止となるかもしれない」

「(時間に間に合うと期待するが)電車で事故が起きて、開始時間に間に合わなくなるかもしれない」

「(レストランは開店していると期待するが)行ってみたらレストランがつぶれているかもしれない」

いつも最悪の事態を頭の中で想定しておく。
期待をしないということを心がけておく。
そうすると、いざ最悪の事態が現実になったときも「やはりそうか......」とダメージを最小限にして受け止めることが出来ます。
これが一番、心穏やかに過ごせるための秘訣であると信じて実践してきました。

が。

今日に限っては完全に心の準備が抜け落ちてしまっていた。暑さのせいだろうか....。

午後に、絵の勉強会が予定されていて、終わった後、気の置けない仲間達と、話題のクラフトビール店に行く約束をしていました。
だけど、集会が終わった後、全く予想していなかった先輩から「飲みにつれて行ってやる」という声がかかった。声が強い先輩である。仲間達も断りきれず、なしくずし的について行くしかないというムードになって、楽しみにしていたクラフトビール店行きは完全にお蔵入りになってしまったのであった。

僕は完全に行けるものだと信じきってしまっていました。このときの絶望といったらなかった。
半月ほど前から企画していたことだったし、今日の楽しみは言わばクラフトビールが全てだったのです。
でも僕が誘っていた仲間たちは、突然予定を覆されるようなこの誘いを、顔色ひとつ変えずひょうひょうと受け入れたのであった......!

つまり、

 

僕は、期待をしすぎていた。

彼らは、全く期待していなかった。

 

ということです。

最後の最後まで、何が起こるかわからない。
彼らはクラフトビールを飲みに行く約束はしていたものの、どうしても断れない用事が突然入ることがあるかもしれない、という覚悟を事前に受け入れていたのだった。

その後のお酒は、やはり美味しいものでは無かった。お酒は気の置けない仲間と飲むべきなのです。でも、きっと期待を持たずにいたら、そこそこは楽しめたのではないかと思うのです。

気をゆるめてはいけない。心の対立が始まる前に、僕らは世の中への期待をなるべく最小限にしておくことから始めるべきだと思います。

 

クラフトビールは近日中にリベンジ予定です(企画がつぶれ得ることもしっかり覚悟しつつ.....)。□