不幸が君だけを変える

 

「人は、他人の不幸を楽しみにしている」


これは人間として生きるものなら、誰もがもっていることだと思うのです。
例えば、海外旅行に行った友人のみやげ話を聞いた時。

「行く場所、行く場所、どもこ綺麗で楽しくて。料理もおいしくて最高でした!」

......みたいな話だったら、僕らは「ふーん。よかったね」で終わってしまう。
人はどこかで、海外で大変な目にあった友人の話を楽しみにしているものである。


以前、エジプトを旅した友人の話を聞きました。

ピラミッドを訪れた晩、彼はカイロの街でマッサージ屋に行ったらしい。
可愛い女の子のマッサージを期待していたのだけど、出てきたのはサダム・フセイン大統領似の口髭をはやした暑苦しいおっさんだったという。
しかも、そのマッサージというのが、素っ裸になった友人を横に寝かせて足で抑え、デッキブラシのようなもので全身をごしごしこするという強烈なものだったというのである。
あまりにもくすぐったくて悶絶する友人を、フセインおじさんは彼を足でしっかり抑えつけ、逃げないようにして、更にはげしくデッキブラシでこすり続けたというのである。
「死ぬかと思った」と語る彼の話を聞いた時、聞いた僕こそが死ぬほど爆笑してしまったのであった。

フセインおじさんと1対1で対峙していたときの友人は、きっと大変なことになってしまったと、ハラハラしていたことだろう。
だけど振り返れば、そんな思い出は全て笑い話になる。
トラブルや不幸こそが、聞く人をしあわせにしたりするのです。


職場の先輩がテニスをしている最中、アキレスけんを切ってしまったとき、みんな騒然となりました。だけど、数日後に足をギプスで固定し松葉杖で出社した先輩を見ると、みんなが先輩を取り囲み、大笑いをしていたのである。


トラブルこそが人生最高の笑い話であり、聞く側はどこかでそんなハプニングを求めているのだと思います。

........という前置きを書いておいて、今日は僕の不幸噺を。

昼休みの食事前に、会社でトイレの個室に入って便座にすわったときのことです。
すわってから気が付いたんだけど、なんだか便座が湿っているのです....。ふと前の壁を見ると、壁も、やや水びたしになっている....。
さすがに個室に入って壁に向かって用をすませる人はいないだろうと思ったけど、なんだか嫌だな。と思い、備え付けのウォシュレットでお尻を洗浄してから便座を立ちました。
.........すると。
止めたはずのウォシュレットから勢いよく水が噴き出してきたのです。きちんと停止ボタンを押したというのに!!

「ちょ、や、やめっ....」

声にもならない奇妙なな声をあげる僕に、ウォシュレットの水は容赦なく噴き出して来ました。
壁がびしょびしょになりました。
便座もびしょびしょになりました。
そして僕のパンツも完全にびしょびしょになりました。換えのパンツはありません。結局、そのままズボンをあげて食堂に向かったのでした........。
この日の昼食は立ってしました。


散々な目にあいましたが、食事をしているときには、これはネタになるな。と思いにやにやしていました。
こんなふうに思うと、不幸もなかなか楽しいものになります。人を喜ばせられるなら1つ2つトラブルがあるくらいが人生、楽しいのかもしれない。

やりすぎると、嘲笑になってしまうかもしれないから、ほどほどに。ですね。□