台風の思い出

 

台風21号が去った。

 

ここ近年では稀に見る恐ろしい台風でした。

前日から職場では「全日不就業」の放送が入り、ものものしい雰囲気に包まれていました。とはいえ、これまで台風の騒ぎを経験したことがないわけでもなく、毎度毎度、騒ぐわりには、風やら雨やらを感じる間もなく「あれ、もう抜けたん?」などという終わり方ばかりだったから、今回も油断をしていました。

 

ほんとうにどえらい台風でした....。


自宅マンションのガラスに激しい風と雨が、何度も何度もたたきつけ、吹き荒れました。窓ガラスが割れて部屋の中に飛び込んでくるのでは...と怯えるほどに。
どこかから飛んできた陶器のようなものがベランダの壁にぶつかって粉々に崩れる音がしました。
マンション自体も風が吹くたびに揺れていました。
まるで、怒り狂ったお露さんが「おのれ新三郎!この札をとれぇぇ!!扉を開けろおおおおぉぉ」と荒れ狂うくらいに(お露さんはそれほど荒れません)。
今外に出たら必ず死ぬと感じるほどの暴風雨でした。
14時すぎに荒れ狂った暴風雨は、16時にはすっかり落ち着いていました。日本海の方に抜けたようでした。
18時ごろに仕事を終え、外に出てみると、街は真っ暗だった。どの商店も今日だけは全て休業を決めたようで、街頭までもが消えていた。街が死んでいる。

 

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6月の北大阪地震の後に、同じように街を歩いたことを思いだした。
なにか大きなものを喪失したかのように途方に暮れ果てたあの気持ちと、どこか似ていた。


ふと小学1年生のころに経験した台風を思い出した。
これほどまでに大きい台風の記憶は、あのときの1回だけだった。
台風が迫るその日、小学校で授業を受けていたが、窓の外の景色が刻一刻と激しい暴風雨に変わって行った。
やがて集団下校をするよう先生から指示があった。
全生徒を地区ごとにわけて、先生が引率して家まで送り届けてくれた。
鮨屋であるわが家に帰ると、暴風雨の猛威はさらに激しくなったが、父はそんなことはおかまいなしで店を営業していた。
突然、ふっと店の電気が全て消えた。停電である。
現代ならば、停電なんてあまり起きることは無いし、起きたとしてもすぐに復旧されたりするのだろうけど、当時の停電は長かった。
夜になると台風の猛威は去ったが、停電は続いた。
父は近所から蝋燭を調達して、カウンターに並べて店を続けていた。見上げた根性である。お客さんも、蝋燭で寿司を食べるなんてまたおつじゃねえか。なんて言いながら、みれば店もそこそこに盛況だったと記憶している。お客さんの根性も相当だ。昭和という時代はみんな元気だった。
そうしているうちに、停電が復旧した。お客さんたちは少し残念そうにしていた。
翌日、学校に行くと、校庭の桜の木が倒れていた。
僕が入学したときに満開に咲いてくれていた桜だった。台風はそれほどまでの猛威だったのである。
桜の木を失ったことと長かった停電が、あのときの記憶が今なおはっきりと残っている理由かもしれない。

今回の台風21号はあの時の台風に匹敵するものだったと思う。

10月くらいまではまだまだ台風はやってくることだろう。
もうこんな思いはこりごりだが、台風が猛暑の夏をゆっくりと吹き飛ばしていくのだろう。

また、秋刀魚と土瓶蒸しの季節がやってきます。□