とがらせる。

村上春樹氏が「職業としての小説家」か、川上未映子女史との対談「みみずくは黄昏に飛び立つ」かで、作品執筆の舞台裏を明かしている。
その中で、氏は一気に書き上げた作品を、何度も何度も推敲していく工程があると語っている。

ぼくが絵を描く過程にもこの工程があって、ぼくはこの工程を「とがらせる」と呼んでいる。
たぶん、すべてのものづくりにはこの「とがらせる」という工程が必ずあると思っている。
ソフトウェア開発ならば、リリース前にテストを繰り返し行って、バグをしぼり出して修正していくところを指すだろうし、漫画の執筆においても、以前NHKの漫勉で東村アキコ女史が、最後に目の中に細かいタッチを入れたり、細かいところの修正をしたりという作業をしていて「とがらせる」ということについて語っていた。

自分が毎日書いているブログについても、とがらせる作業がある。
ブログは、毎朝記事をアップしているが、その日の通勤時間や昼休みなど、自分で読み返し、読みにくかったり誤解があるような箇所は何度も推敲しています。

最近、書き始めたころの古いブログも読み直し始めています。
いづれ、印象に残ったブログをまとめたいと考えているのです。

10年前の文章は下手だろうなぁと思ったらそこそこに読めるし、確かに自分が書いたものだということを思いだしたりしてなかなか面白い。
あのときと今の違いといったら、文章力というより書く時間だろうね。文章はうまくなってないけど、書くのだけは早くなったと思います。
でも10年前のブログはとがらせないようにしてます。推敲はしません。稚拙であるところも含め、そのときの記録を残したいと思っています。

この前、後で思い出せる1日のタイトルをつけるということを書いたけど、ブログは、10年後もしっかり10年前が思い出せるブログであるようにしたいですね。

10年前の文章から「過去を思い出せる文章とは」を学び直したいと思ってます。□