ぼくらができること

北大阪地震。大雨。そして台風21号に、北海道地震

我が国が、災害の多い国であることは体に浸み込むほど理解しているつもりだったけれど、これほどまでに立て続けに災害が起きてしまうと、なんだか災害の受け止め方とか考え方すらも、変わらざるをえない。そして実際に変わってしまったように思います。

台風21号の直撃で関西国際空港が水没して大騒ぎになっているときに、北海道の大地震が発生して、報道では両方の状況を伝えなくてはいけない。僕らの目も泳いでしまう。
ボランティアの方も、大阪に向かおうと思いきや、北海道も!?となって、どこ向かっていいのか分からなくなってしまう。
かつては日本中を驚愕させた1つの災害ですら日常のようになってしまっている。「連鎖的な災害」が新しい恐怖となって、僕らの常識を上書き更新してしまっている。

東日本大震災が発生したときに、僕らは何が出来るんだろう。と激しく落ち込んだりしました。

「自分の仕事を続けるしかない。

 僕らにできることは自分の仕事を通じて、経済を回すことだ」

誰かが口にしたか、誰かが行動で示したか。
その答えが示されたとき、なんだか非情ではないか?と大きな違和感を感じたけれど、ぼくらは救いを求めるように、そんな答えにしがみついて、それぞれの社会に頭を引き戻したのだった。

そして今。北大阪地震を受け、はじめてぼくは被災者になった。
まるで真空地帯の中に閉じ込められたかのような気持ちだった。
北大阪以外の地域はどこも元気で、まるで大きな岩をさけて歩くかのように、誰もがそれぞれの現実を生き、健全に経済を回して生きているのを感じたのだった。
取り残されたような気持になったのはすこし寂しかったけれど、ある意味これが正しい姿なのだ、と素直にこの状況を受け入れることが出来た。

働く細胞じゃないけど、膝を怪我したときには、例えば手のひらや頭のあたりにいる白血球が膝までやってくるのではなくて、まずは最寄の膝の周りにいる白血球がえいやえいやと修復を試みるでいいのではないか。
たぶん、傷口というものは、ミクロからマクロまで同じような構造で修復されるようになっているのではないだろうか。

「ぼくらができること」にはいろいろな選択肢があると思います。
これからもいろいろな大変な災害があるかもしれないけれど、それぞれが正しいと思うやり方で行動するのがよいかと思っています。

それぞれの地域が早くもとどおりになり、また元気になってくれることを心より祈念しています。□