あのころ

 

学生時代に、漫画研究会に所属していた。

 

毎日、5人ほど入れば満室になる狭い部室に、次の授業までの待ち時間や同期仲間との待ち合わせをしながら漫画を読みあさる部員たちが押し寄せていた。
ある日、そんな体たらくの僕らの前に、一人の紳士がやってきた。
ピシッときめたスーツにネクタイ。黒く光る革靴。50代くらいの穏やかで人柄のよさそうな男性だった。

「わたくし、こういう者です」

丁寧に差し出された名刺を見ると「〇〇出版社 萩原」とある。
はて、出版社が一体どういったご用件で.........?
話を聞いて驚いた。
〇〇出版社は、中学生・高校生向けの参考書を出版している会社とのことだった。
かつて〇〇出版社で「漫画でわかる物理教室」なる本の出版が企画され、よりによって、どういうわけか、我が大学の、我が漫画研究会に、白羽の矢が当たって、ぼくらの大先輩たちが物理漫画の原稿を執筆したというのである。
それがこのたび高校物理教育のカリキュラムに見直しがあって、教科書が大きく改定されたため、「漫画でわかる物理教室」も改定することが決まったという。
つきましては、漫画研究会の方に、改定版の原稿を執筆してほしい。という話なのだった。

毎日部室で漫画を読んだりアニメを観たりして時間をつぶすだけのアホ学生に漫画原稿を執筆する「仕事」が舞い込んできたのであった....!
確か改定は2~3項目程度で、1名あたり8ページずつ書いて欲しいというような依頼だったと記憶している。
自分の描いた漫画が初めて本になる.....!
「どうぞよろしくお願いします」と丁寧に頭を下げる萩原さんに「こちらこそ!」と更に深く頭を下げて、ふたつ返事で僕らは依頼を受けることにしたのだった。
授業もサボるくらいの勢いで、僕はあっという間に原稿を完成をさせた。充実した楽しい仕事であった。
ところが、締切が間近に迫るころ、同じく原稿の執筆をしていた友人Aから「原稿がほとんど進んでいない。助けてくれ..........!!」とヘルプが来た。
そんなこともまた、僕にとっては嬉しくて、彼の家までスキップで出掛けて、徹夜でアシスタントをしたのだった。

やがて、ぼくらの原稿は本当に本になって出版された。
実際に並んでいるのを確かめるため、わざわざ本屋に出かけたりもした。
(でも、この本が売れたのかどうかはわからない。(笑))
これだけでも充分しあわせだったのだが、さらに驚いたことに原稿料をいただくことができたのである!
本を出してもらえただけでなく、お金まで貰えるという事に僕はさらに舞い上がってしまったものである。原稿料は僕らにとって驚くほど高かった。

執筆も終わり、本も無事出版され、落ち着いたころに友人Aの家に泊まりがけで遊びに行った。

 

「見ろ。原稿料で買ったぞッ!!」

 

机の上に乗るそれが、当時発売したばかりのプレイステーションだった。
まだまだスーファミがばりばりの現役だった自分にとっても、プレイステーションはゲーム界の革命だった。
それまで任天堂がほぼ独占していたゲーム業界にSONYが乗り込んできたのである。
当時SONYといえば、若者向けのAV機器で大人気だった。
出すもの出すものすべてが洗練されたデザインでかっこよかった。
そして、プレイステーションもそのSONYブランドを全く裏切らない、そしてしっかりと任天堂と戦えるだけのスペックをもったマシンだった。
ポリゴン技術が駆使されたナムコの「リッジレーサー」を遊ばせてもらったとき、呼吸がとまるような衝撃が走ったことを今でも覚えている。
その後も「ファイナルファンタジー7」や「バイオハザード」の登場で、プレイステーションの名は任天堂に並ぶに足るコンシューマーに成長していったのだった。

 以来、萩原さんからは毎年、必ず丁寧に年賀状が届いた。
社会人になってしばらくして届いた年賀状に「定年退職しました」と書いてあった。
僕も今なお、友人Aに毎年年賀状を書いている。だがあの時以来、Aにはあえていない。元気にしているだろうか。またいつか共にゲームをしながらあのころのこと、そしてこの20年のことを語りたいものである。

 

補陀落おじさんのことをつべこべいう資格無いね、僕......。□