真夜中の哲学

毎日なにか頭の中にあることを書き続ける。

簡単なようでいて意外と続けるのは難しい。

言葉があふれだす日もあれば、

言葉が全く出てこない日もある。

言葉が全く出てこなくても、なんとしても書かなくてはいけない。としたら。

そこに、アマチュアとプロフェッショナルの境界の入口があるのではないか。

どんなときでも続けるためには、無理をしても続けねばならない、という何らかの「使命」が必要になる。

誰かのため。

お金のため。

誇りのため。

名誉のため。

・・・・。

どんな理由であろうが、使命を燃やし続けるということ自体、実はなかなか難しくて、なかなか尊い

1週間くらいなら誰でも続けられるかもしれない。けれど、10年間となると誰でもというわけにはいかない。

続けられる人というのは、自分の考え方や健康、そして周囲の環境など、日々刻々と変わっていくものに対し、永続的に続けて行けるよう、変化を受け止め柔軟にやりかたを変えて、微調整を図っていくことができるのだろう。

使命を持ち続けるということと、その継続のための調整能力のことを、世の中では「才能」とか呼んでいるのではないだろうか。

調整能力があるかどうかということ自体、長く続けている人にしかみえてこないので、継続=才能ということになるのだろう。

そうなると、ブログを続けるということは、自分に才能があるかどうかを証明する途中の状態ということになる。そしてそれは証明完了となることはないのである。

仮にぼくが死ぬときまでこのブログが続いていたとしたら、ぼくが死んだ後に「増田力也はブログの才能があった」ということになるのでしょう。

天才って、証明はできないものなのだろうか。なんだか眠れなくなりそうなので続きはまた後日。□