レフェリーの目

ぼくらは日々、リングの上にいる。

目の前にいる相手をにらみすえて、相手を打ち負かすことに集中している。

キック、パンチ、ブレーンバスター。

それが今見える世界の全て。それ以外は何も見えない。何も考えられない。

だけど、その二人の姿を見ているレフェリーや観客にはすべてが見えている。

リングの上にいる二人にとっては「必死」だけれど、実はレフェリーや観客から観たら、そんな「必至」はほとんどが「娯楽」や「茶番」になっていたりする。

ぼくらが抱える多くの問題は、レフェリーの視点から観たらほとんどが「茶番」なのかもしれない。

ぼくらは抱える問題が熱くなる前に、いったん深呼吸をして、レフェリーの視点まで引いて見て、今目の前にある問題がただの「茶番だ」と笑い飛ばすくらい、余裕を持っていた方がいい。

先生のスケッチはなぜうまいのか。
いい景色に出会ったとき、先生はすぐに描かない。
深呼吸して気持ちを落ち着かせて、改めて景色を眺めてから下絵を描き始めている。
そして下絵が出来た後も、タバコで一服してから、改めて下絵を眺め、修正を入れてから着彩を始めている。
あの「一呼吸」こそが、落ち着きのある素晴らしいスケッチを作るコツなのだと思っている。

仕事でイラっとすることがあって、つい感情的なメールをすぐに相手に送り返しそうになることがある。
だけど、そんなとき「待て」ともう一人の自分が言うのである。
ぼくはメールを送信箱に入れて、翌日改めて冷静になってから、メールを眺め、修正して送ることにしている(たいていひどいメールを書いていたりして、送らなくて良かったと思うことが多い)。

どこかでやっている夫婦喧嘩なんかも、喧嘩をしている当人たちは死にもの狂いだったりすると思うけど、外から観たらたいてい「まあまあまあ」と、ほほえましい一家族の一事象程度なのかもしれない。
深呼吸して、冷静になってから、言葉を選んでもいいのかもしれない。


「レフェリーの視点になる。」

これは、人生でとても大切です。

誰かと対立をしそうになったときとか、

いらいらとしてしまったときとか。

はたして自分は人からどう見えているのか。

自分がこれからとる行動は感情によりすぎてないか。

深呼吸をして、見つめ直す余裕を持ちたい。

それによって、世界の半分以上の大なり小なりのいさかいごとは無くなるじゃないかと思うのです。

慌てなくても良いことで慌てて、すぐに行動や言葉にしてしまうことで、やらなくてもいい争いをわざわざ引き起こしていたりするのではないだろうか。

僕らはみんな、深呼吸をしてから、レフェリーの目になるのがいい。□