さて問題。これ何と読むでしょう。
たるしむ。と読みます。
僕がつくったオリジナルの漢字です。
苦しいと楽しいの間。
苦しいこともあって初めて楽しい気持ちが生まれるという意味の言葉です。
産経新聞が主催している「創作漢字コンテスト」に以前応募した作品です。
結果は.........落選。かすりもしませんでした。
これが入選作品たちです。
▲ 読み「まとはずれ」
▲ 読み「きおくにございません」
▲ 読み「ひょうりいったい」
▲ 読み「うえにはうえがいる」
▲ 読み「おんち」
▲ 読み「AKB48」
入選作を見ていて、僕はやっと気が付いたのです。
ずれている。と。
つまり。
創作漢字コンテストとは、
世の中にある言葉を、漢字で置き換えるコンテスト。だったのですね。
世の中にない言葉を、漢字で創作するコンテスト。ではなかったのです。
たるしむ。は、今なお、我ながらいい新語だと思っています。
でもこのコンテストでは決して入選することはない。ずれているから。
世の中には「ずれている」ということがたびたびあります。
気付かないうちに自分の考え方が社会の一般常識からがずれているのです。
自分では趣旨をくんで、正しいと思って対応をしていたとしても、ふたを開いてみたら「全然違うじゃねえか」と指摘をされて「はっ」と誤りに気付いてしまう。思い込みの呪縛から解放される。なんてことがたびたびあります。
でもそれって切り口やルールの違いというだけで、どちらが絶対の正解というわけでもない。
今回の漢字も、創作漢字コンテストが求めるものが「新語創作」だったら、たるしむもなかなかいいところにいったのではないだろうか(負け惜しみ)。
というか、ぼくらは、そういう「ずれ」を受けた時の脳しんとうに「芸術」の1つのエッセンスがあるんじゃないかとか思うんです。
以前、絵の先生に
「おかしい、と指摘されたところを直してはいけない。そこが君の個性だから」
と言われたことがあります。
社会生活では、ずれは避けた方がいいかもしれないけれど、芸術生活では、ずれを肯定するほうがいいのかもしれない。世の中はややこしい。
多少ずれていても、世界はなんだかうまく回ってるし。
楽しく受け入れて、楽しく受け流して、すぐれたクリエイティビティを生み出したいものです。□