釣り糸を垂れる

どうも集中力が出てこない、という日がある。
仕事に乗り切れず、これといった成果も出せず、なんだかだらだらと時間が過ぎてしまう。
今日はダメかなぁ帰ろうかなぁ.....。などと思った夕方どき。
刹那、それまでの不調が嘘であったかのように集中力があふれ出してくるということがある。
残されたのはわずか30分間。にもかかわらず、まるで坂道を駆け下りるかのように調子が上がって、それまでの不調を一気に取り戻すかのように仕事が片付いて行く。
これまでの時間はいったいなんだったのか。
これほどまでにやれるのならば、いっそ午前中にでも一気にかたづけておいたら、定時にもとっとと帰ることが出来ただろうに.....。そんなふうに思う。
だが決してそんなふうにはいかないのである。

多分きっと「釣り糸を垂れていた」のです。

魚釣りを楽しむ人にとって、魚がかかるのは一瞬である。でも、かかるまでに何時間でも待ち続けるのである。
ふりかえってみれば、丸一日かけたにもかかわらず、魚がかかって、格闘していた時間は10分程度だったかもしれない。
だけど、丸一日に及ぶ「待つ時間」は無駄だったのか、と言えばそうではない。むしろその時間が無くては魚は決して釣れなかったはずである。

僕らは、釣れるまで待つのである。待つしかない。辛抱強く待つということが、仕事の本質かもしれない。

分単位で仕事をばりばりとこなしていく姿も眩しいかもしれない。
だけど、わずかの充実した仕事をするために待つ姿もなかなかに尊いものではないか。

そんな言い訳を考えながら、今日も僕は、釣り糸を垂れるのである。□