ノートルダム大聖堂

巴里のノートルダム大聖堂の火災にショックを受けています。

深夜のニュースで聞いた時はこれほどの火災だとは思っていなかったのです。
西洋の建築の多くは石作りなので燃えたと言っても大したことはないだろう、とたかをくくっていたのです。
が、朝、テレビの映像をみたとき、呼吸が止まりました。
大聖堂を、想像を超える激しい炎が覆い尽くし、尖塔が燃えつきて倒れていく......。
世界遺産でもある長い歴史を背負った貴重な建築が、燃えつきていく様子を見るのは、言葉にならないショックな出来事でした。

木造だったのですね。
相当な年月がたっているから木もカラカラに乾いて、火が付けば止めようもないほど燃えるような状態だったのでしょう。

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かつて巴里を訪れたのは2005年、もう15年ほど前になります。

絵を描き始めた矢先でした。

セーヌ川沿いを歩くと蚤の市のお店がずらりと並んでいました。
やがてノートルダム大聖堂が見えてきて、例のごとく「うわあ」と叫んだ僕は、まっしぐらにスケッチを始めたのでした。
大したスケッチでもなかったと思います。もう手元には残っていません。
でも、たまたま近くを通りかかったフランス人の母娘が僕のスケッチをみて「うわあ」と歓声をあげたのでした。
海外の全く知らない異国の地の女の子であっても、自分の絵を観てもらえた、喜んでもらえた。ということが本当に涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。

これからすごい絵を描こうと熱く燃えていた、そんな僕にとって原点のような場所が巴里、とりわけノートルダム大聖堂なのです。

今回の火災は、日本で言えば、清水寺銀閣寺が全焼するというような事件に匹敵するかと思うのです。
もしそんなことになったら、僕は転げまわって悲しみ、泣き叫ぶだろうと思うのです。
今回の火災でフランス人へのインタビューで「ノートルダム聖堂は僕らの体の一部」みたいなことを言われていましたが、僕にとっての国宝も、僕の血、僕の肉、僕の体の一部のように感じています。
フランスの方々がどれほど痛ましい悲しい気持ちでいるのか、身に浸みる気持でいます。

夜のニュースでは、早くも760億円の復興寄付金が集まっているとの頼もしい報道がされていました。
それでも、お金があるだけで復興できるというわけでもないですからね。
もう一度建てなおせと言われて、あれだけの建築を復興できることなのか。
現代には残されていないような複雑な建築技術もあるし、浸み込んできた時間や歴史もある。

それでも一日も早く、限りなく、元の形に近い状態で復興できることを心より祈念しております。□

2005/05/14のブログにも書いていたなぁ~。
http://massy.hatenadiary.jp/entry/20050514