誰よりも先にジャイアント馬場のモノマネを完成させ、
初めて人前で披露した人間は誰だったろうか。
「ジャイアント馬場のモノマネやりまーす。アッポー!」
今や、そこここにいる誰も彼もが気軽にできるモノマネは、
正しく言えば、
「ジャイアント馬場のモノマネを生み出した人のモノマネ」をしているだけなのである。
まだこの世で誰も表現したことのないモノマネを完成させた人は、おそらく、ずうっとジャイアント馬場を観察し続け、いろいろな音を出してみて、「アッポー」に近づいて行ったに違いない。今のような豊かな音響、映像、録画設備があったわけでもない時代だ。さぞかし長い試行錯誤が続いたことだろう。
オリジナルを生み出すパイオニアという存在は常に、前衛であるがゆえの孤独と戦い続けるのである。
これまで自分が描いた作品を自分で見た時に感じていた、なんとも言葉にできない不愉快な気持ちはここにあった。
つまり、自分の絵は、いつかどこかで誰かが描いた絵の模倣をかき集めた絵でしかない。ということである。
これまで自分の脳裏に焼きこまれた多くの巨匠たちの傑作の表層をなめ、誰かが語った言葉を観念で受け止め、受け売りの作品を描き、受け売りのタイトルをつける。あたかも自分が初めて生み出したかのように。
我ながら、そのにおいが鼻につく。このにおいを完全に落とし切りたい。
そんなにおいがすべて消えたときこそが、初めて本当の自分なのではないか。
誰もが偉大なる先輩方の作品の影響を受けるはずだ。
だがそれらを咀嚼して、エッセンスだけを体の中に浸み込ませ、影響を受けたことすらもわからないほどにDNAに焼きこんで、ようやく「オリジナル」を宣言できる。
守破離の離とは、そういう所を指すのではないか。
早くても遅くてもいい。確実に「離」を目指さなくてはいけない。それまでずっと不愉快は続くに違いない。□