描きたい。という欲望を抑える。
描かないことが作品をより抽象化し、鑑賞者にのりしろを与える。ということは頭が知っている。
だが、10年も前から頭では知っているものの、いつも体は描きたいと叫んでいる。
その叫びに逆らえず、ぼんやりとした描き切れていない箇所をきっちり描き決めこんでしまう。
そして挙げ句に、絵は説明くさくなり、だいなしになってしまう。
そんな馬鹿なことを10年繰り返している。
どうして体はあそこで手を止められないのか。せっかく絵は面白くなってきているというのに。
結局、体が100%、飽きた。というまで描くしかないのだろう。
体の中にある、描きたいという欲望が完全に干上がり、枯渇するまでやり切ってないと、にわか仕込みのスタイルには体がついてこられないのである。
この秋の二紀展に向け現在鋭意制作中だが、これはこの1年のガス抜きのひとつの成果である。
少しずつ、毒素は抜けてきているのだと思う。その成果を発表できれば良いと思っている。□