エクスキューズを大切に

 

「葬式の名人」の失敗について、もう少し書きたい。

 

アトリエで先生が研究生に話していたのです。「素晴らしかったぞ」と。

珍しいことです。
互いに大の映画好きであり、これまで幾多の作品を観てきている分、僕も先生もなかなか映画にはかなり辛口になっていて、ここ最近は、すごかったという作品には出会えていなかった。
その先生が、これほどまでに絶賛するのだから、さぞかし「葬式の名人」は傑作なのだろう。
もしかして「おくりびと」を超えちゃう?....まさか、でももしかして。と期待がどんどん膨らんでいったのでした。


.......ところが。
ごめんなさい。昨日も書いた通り、僕にとっては「真のくそ映画」でした。

 

一体、先生は何を見ていたのだろうと思いました。
こんなふうに評価が180度ずれたことなど、これまで1度もなかったのです。
この煮えたぎった気持ちをどうしても抑えきれず、制作後の酒の席で爆発してしまいました。


「先生はいったいどこがよかったのですか。」


尋ねてみると、そこには大いなるフィルタがあったのでした。

茨木市は市政70周年を受け、本作はその記念として作られた作品であると。
その視点で観れば、がんばってるな、よくできているな。と感じたということでした。

..........?!

アトリエで絶賛していたときにはそんな前提の説明は全くなかったのでした。
だから話を聞いた研究生は誰もが、それぞれの持つ人生のベスト映画に並ぶ傑作が現れた。と期待を膨らませたのでした。

 

条件の定義、基準の設定、視点の設定。
つまりエクスキューズというやつは、事実を説明する上で必要不可欠なのです。
これがないと、それぞれが好きなところに条件や基準を設けてそこからの相対で観てしまうからね。

今回の元凶はここにあったのです。

エクスキューズを大切に。誰かに何かを伝えるって難しいと学びました。□