★二つの寺

蟹満寺の国宝釈迦如来坐像を拝顔したとき、
まず「大きいな」と感じた。
むしろ「大きすぎるな」と感じた。
奇顔である。
いわゆる仏像が今のスタンダードなお顔になる前の白鳳と言われる時代に作られた仏像である。
かつて写真でそのお顔を見たとき、その奇顔に惹かれ、いつか必ず訪れてみたいと思っていた。
京都と奈良の県境。
列車やバスの便も悪い。
そうやすやすと訪れることのできる場所ではない。
だからこそ、一層期待に胸が膨らんでいたのだが。
蟹満寺は小さなお寺であるが、つい昨日建て替えたかのような綺麗すぎる建築に情緒はなかった。
拝観料を女性に納めると、どうぞご自由に。と中に通された。
備え付けられたボタンを押下すると、テープの声が解説を始めた。
特に寺の方が近くにいるわけでもなく、仏像には寄ったり離れたり好きなように見せてもらえた。
確かにずっと拝顔したい願いが叶った。
....だが。正直、何か物足りない気持ちになっていた。

次に訪れたのは三井寺である。
滋賀の琵琶湖南に位置する名刹である。
この時期、普段は決して公開しない秘仏・金色不動明王立像、護法善神立像が公開されていた。
国宝の金堂の内陣が公開され、参拝客も多い。
御朱印特設コーナーが金堂内に設けられ、御朱印をもらう人の列ができている。
ぐるりと金堂内を回ったが、お目当ての秘仏は見当たらなかった。
どこで拝顔できるのでしょう、と尋ねると、金堂の反対側に特設の入口が設けられていた。
入口には僧侶が1人立っていた。僧侶は我々に「目を閉じてください」と指示すると、いきなり、オンマキャラカウンチャラナンチャラソワカ!などと唱え、お祓いを始めたのであった。
ひととおりお祓いが終わると「ではどうぞ」と奥へ通された。
「・・・・!!」
入るや否や息をのんだ。
目の前に秘仏護法善神立像がたたずんでいた。ほとんど光の入らない暗い堂内に、仏像にのみ照明が灯され、ぼうっとその美しい姿で静かにたたずんでいる。反対側にはもう一体の秘仏・金色不動明王立像がたたずんでいる。こちらもすごい迫力であった。
なんだか、とても神聖な気持ちになり、拝顔できてよかったと心から感謝したのだった。


この日はこの二つの寺を訪れた。
国宝、重要文化財のすぐれた仏像を拝顔したのだが、その印象ははっきりと結果がわかれた。
この差はなんだったのだろうと考えていた。


それは「演出」だったのではないかと思うのである。


ともに大変貴重な仏像である。まずその価値は甲乙つけがたいものだ。だが、差が出たのはやっぱり魅せ方だったのだろうと思う。
蟹満寺の仏像は、ただそのままご自由にどうぞという状態で日々の営みの中に埋もれてしまっていた。
だが三井寺の仏像たちは、入口の坊主にお祓いを受けてはいるような特殊な暗い場所の中にあり、また絶妙な光の演出でその静けさと時間を感じさせる中に配置されていたのである。

魅せ方をあなどるなかれ。という貴重な対比である。

料理にだって通じる話だ。
ミシュラン★3つの日本料理店と他の日本料理店の違いはなんだろうか。
きっと料理そのものの味には大きな差がなかったとしても、食器であったり、空間であったり、おもてなしであったり、そういった要素すべてで総合的に料理のうまさというものは決まってくるのではないか。

本当は料理そのものだけで戦うのが正々堂々としているのかもしれないけれど。


これだけ多くの人が携わっているそれぞれの分野で頭一つ出るためには、ありとあらゆるものを味方につけて、目を引いていく必要があるのではないだろうか。

絵だって描くだけじゃダメなんです。額やら会場の演出、展示の仕方など、隅々までこだわって初めて見てもらえるようになる。

1つ1つのこだわりを大切にしたいと改めて思います。□