幼い子供は、親からすべてを受け、基本的に自分から何かを与えることはしない。
子供は一方的にもらうことに甘え、もらえなかったら、与えてくれないものに怒り、大声で泣いて反抗したりする。
だけど、大人になるにつれ、ただ受けとるだけではなくて、自分が与えることも求められるようになる。
もらったら、かえす。そういう社会を経験し、身に付けていく。
映画を観る。映画を作る。
料理を頂く。料理をする。
プレゼンを聞く。プレゼンをする。
宴会に参加する。宴会を企画する。
受けとる立場と、与える立場。
この2つの立場を経験することによって、人は子供の頃のように一方的に受けとる側の立場で、作る側を糾弾できないことを学ぶ。糾弾するほどに、そういうお前はどうなんだ。ということばが跳ね返ってくるからだ。
悪口をいうだけならばとても簡単だ。だけど、そういうお前は作ったことがあるのか。与えたことがあるのか。作る人間の気持ちを噛み締めたことがあるのか。
受けとることだけになれてしまった人間は、もらったものへの感謝を忘れ、すぐに文句や悪口だけを返すようになる。
若い人でも、中年でも同じだ。誰でもすぐに奈落に落ちる準備ができている。
1つ受け取ったら、1つ返す。それくらいの姿勢でいるのが、人は美しいと思う。
そういう僕も、もらうばかりで、返せていないことばかりだけど。
ただ、これまでの人生で、作ること、与えることの痛みは確実に重ねてきたような気はしている。だから、僕は言い返さない。言い返せない。
だからこそ、言う人も言う前に考えてほしい。
「そういう僕は、私はどうなのかな」「そういう僕も、私も、同じです」
人生、だいたい、おたがいさま。です。□