永観堂に行け

 

「なんでついて来られないの」

 

人はそれぞれ、自分が大切に思っているモノへの溢れんばかりの「愛」をもつ。

その愛のテリトリーに、足を踏み入れた他人はまず、多大なる歓迎で迎え入れられる。

そしてそこから、彼のそのモノへの「愛」の長くて、深くて、早い、講義が始まる。

聞く方としては、最初のうちはなんとかしがみついて行こうとするけれど、途中あたりからついていけなくなり、やがて引きずられるようになる。最後の方は、最早全くついていけていない。

そして、その長くて、深くて、早い講義が終わる間際になって、軽い気持ちで1つばかり、質問をしてみる。

すると、彼は憤り、こう返してくるのだ。

「なんでついて来られないの」

 

仕事でも、ゲームでも、車でも、音楽でも。
人それぞれがもつ大切なモノへの「愛」だけど、他人は大抵それほどまでに、そのモノに「愛」をもっていない。

ごく一般的なプレゼンを聴くとき、多くの人は、たぶん半分も聞き取れていないのではないだろうか。
短時間に詰め込まれた情報を、聞き取り、理解し、さらに深く考察するなんて、同時にはなかなかできないことです。
せめてプレゼン後の質疑応答で、とりこぼしたことを回収して100%に近づけるくらいがせいぜいなのではないかと思うのです。

 

永観堂に行け。と思うのです。

 

ご本尊はみかえり阿弥陀如来立像です。

 

みな人を渡さんと思う心こそ
極楽にゆくしるべなりけれ

 

行道する永観上人の前に現れた阿弥陀様は、先導の途中、立ち止まり、みかえり、「永観遅し」とつぶやき、待ってくれたといいます。

真正面からおびただしい人々の心を濃く受けとめても、なお正面にまわれない人びとのことを案じて、横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏のみ心を知るエピソードということです。

人それぞれ歩くペースは違うし、目線も違うけれど、阿弥陀様のように、どんな人の目線にも歩幅にも合わせるという姿勢が大切なのかもしれません。□